第181回
香港の住人は逃げ出すことばかり考えていました
平成4年になって小平が香港に接する深と珠海を視察し
「大陸に香港のような町を二つか三つつくりたい」
とつぶやいた途端に、香港中が沸きに沸いて
株も不動産も値上がりしました。
邱さんが昭和63年に提唱した“中国の香港化”説の方に向かって
中国が動いてきたのです。
「小平が私の主張に裏書してくれたようなものである。
ならば、香港の住人たちがみな私と同じような見通しのもとで、
安心して暮してきたかというと、大多数の人はまるで逆で、
一日も早く香港から逃げ出すことばかり考えている。
知識のない庶民が共産主義を恐れているならわかるが、
教育もあり、国際事情にも通じているインテリや上層階級ほど
香港の前途を悲観しているのだから話はややこしい。
うちの女房は香港の人だが、彼女の親戚たちを見ればよくわかる。
一番上の兄さんはロンドンへ、二番目の兄さんはバンクーバーへ、
一番上の姉さんはロスへ、二番目の姉さんはトロントへ、
そしてうちの女房が東京在住、
四番目の妹は旦那が医者をやっている関係で
香港に住んでいるが、ペナンに家があって、
飛行機に乗れば、
次の日からペナンで生活できるように手配してある。
五番目の妹は、カリフォルニア州のポートビュという田舎町で
大きなスーパーマーケットを経営している。
将来きょうだいが散り散りになって
親の墓参りができなくなることをおそれて、
親の死ぬ前にサンフランシスコに墓地をもとめ、
両親とともに死んだあとわざわざ太平洋をこえて
棺桶を運び土葬にした。みんな香港の財産を売るか、
売らないままでも本境地を海外に移すために
香港を後にしたのである。
そして、一番早くから私について東京に住んでいた
うちの女房だけが皆と逆に97年を前に香港に舞い戻ってきた。
どうして香港に住んでいたきょうだいたちが
香港を捨てる気を起こしたのかというと、
香港はきっと共産党にとられて、
『香港に住むことは自由を失うことである』
と思い込んでいるのである。
無理もない話で、香港の人たちはすぐ
お隣の広東省の出身者が多い。
自分らの身内が共産党の天下になってから
どんな目にあわされたか、
また文化大革命でどんな犠牲を強いられたか、
その目で見、その肌で感じてきた。西ベルリンもそうだったが、
自由陣営の最前線ほど反共感情は激しいものがある。」
(『旅は電卓と二人連れ』平成6年出版)
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