Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第158回
一生情熱を燃やせるような仕事に切りかえることが大切です

前々回に紹介した「同窓会に行きたがらない理由」
というエッセイには次のような記述があります。
「世の中には、年が若くて
愚痴ばかりこぼして生きている人間があるが、
愚痴をこぼすか、こぼさないかで
人間の老化を区別するとしたら、
どうやらそれは一生に仕事を持っているかどうか、
ということとかかわりがありそうである。

サラリーマンにも仕事はあるけれど、
定年制という制度があって仕事が中断する。
中断して仕事がなくなったり、
また新しい仕事を探していると
情熱をもやす対象がなくなってしまう。
するとガックリきて階段を駆け下りるのと、
白髪になって年をとるのとが同時に起こって
相乗効果を発揮しながら、
見る見る老境に入ってしまうらしいのである。

もう年をとってからでは間に合わないかもしれないが、
私は職業を選ぶなら
定年のない仕事を選ぶのがよいのではないかと思う。
子供の時、国定教科書で
『木口小兵は死んでも喇叭を手から離しませんでした』
という文章を習ったことがある。
この生き方を軍国主義のシンボルといって
バカにする人がいるかも知れないが、
このとしになると『死んでも喇叭』がいいなあと思えてくる。

確か檀一雄さんにも『死んでも喇叭』という短編小説があったが、
自分の生き方を貫いたという意味では、
檀さんの人生そのものが『死んでも喇叭』であった。
55歳か、60歳になってから、
あわてて喇叭をさがしても間に合わないから、
もう少し年の若い段階で定年制の絆を自ら断ち切って、
一生、情熱を燃やせるような仕事に切りかえることが
大切ではないかと私は思うのだ」
(「同窓会に行きたがらない理由」
『ダテに年はとらず』に収録)


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2003年2月1日(土)

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