Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第154回
35歳のときに書いたプランでは50歳以降が空白でした

あなたは自分の人生プランを考え、
それを紙に書いたことがありますか。
私は自分の人生の先行きを見つめて、
これから自分を筆頭に妻や子供たちの将来をみつめたのは
自分が35、6歳のときでした。
それまでの私は「組織のなかでしっかり仕事をしていれば
その先はなんとかなるだろう」と思っていました。
ところがそうノンビリはできないぞと思うことがあり、
私と妻と当時9歳、8歳、5歳の三人並べて、
年がたっていくにつれ、それぞれが
どういうようになっていくのかという表を書いたのです。

あと何年たったら子供たちは小学校に行き、中学校に行く、
そして高等学校に行くか、浪人しなければ、
いつごろ大学に行くことになるのかといったことは
すぐにも想定できることなので、
それを紙に書きました。

だから人生プランといえるような代物ではありませんが、
自分の人生が辿るであろうことに思いを浮かべることは
それなりに効用があり、これから○○年たったら、
長男は高校に行くことになるなあ、
その時は家から通えるようにしてやらないといけないなあ
と思って家をたてる時期の目処をつけることになりました。

当時のことをふりかえっていま興味深く思うことは、
紙に書きこんだのは、自分が50歳になるまでで、
50歳以降は何も書きませんでした。
どうなるのかわからなかったからです。
私は田舎の商家で育ち、
周囲にサラリーマン人生を歩んだ人はおらず、
サラリーマン人生を選んだ人間の後半が
どういう具合になるのか
想像がつかなかったことも関係しているでしょう。

それから15年の年月がたち
自分が、50歳の手前のところで会社を去って、
研修講師の道を歩むことになったわけですが、
35歳の頃には空白のままになっていたところに
自分なりの第二の進路を書きこんだことになります。
そしてその進路にしたがって10年走り続け、
いま60歳の直前に立ったところです。


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2003年1月28日(火)

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