| 第140回転職の世話することができたのも邱さんのおかげ
 いまの時代、転職やら転業がごく普通になってきました。私の周辺でもそういう話が起こってきました。
 最初に起こってきた話は、コンサルタントの仕事から
 研修の分野に転じた私の友人が、
 オーナーとの間で互いに思い違いがあったことが判明し、
 それがきっかけで会社を追われることになりました。
 路頭に迷うことになった友人に私は手をさしのべたくなり一年ほど前、邱さんが講師になって話をされたときに知り合った
 東京エグゼクティブ・サーチの江島さんを思い出し電話しました。
 江島さんは私のことを覚えてくれていて、
 私はその友人をつれて江島さんのところを訪れました。
 結果的には、江島さんの方で探してくれた仕事と、私の友人が希望した仕事がかみ合わず、
 再就職話は成立しませんでした。
 しかし、友人はそこを通過することで、その後
 独立した生活を確立するようになりました。
 その一年あとに、今度は自動車会社に勤めていた40歳になる友人から
 転職先を案内してくれるところがないかときかれました。
 このときも私は江島さんの会社を紹介し、
 その青年は江島さんの部下にあたる人から
 外資系の企業に転職するためのトレーニングの指導を受け、
 その後、時代の先端を走っているような会社に転職し
 私はその青年と彼のご両親から
 お礼を言われれるようになりました。
 そんなお世話をするなかで私は江島さんが日本の大学を卒業したあと、ブラジル、パラグアイに渡って
 農場で働きのち、アメリカにわたって大学で勉強するという
 キャリアを経てきたことを知りました。
 江島さんは大学を卒業し、33歳になっていた昭和42年に帰国し、
 そこから独立資金作りのため、
 契約を取ってはじめて収入を得られる
 フルコミッションセールスの世界で目標達成して
 41歳のときに今の会社を設立して、
 いま人材紹介の分野で草分け的存在になっていました。
 そういう江島さんのキャリアを知るにつれ、江島さんが邱さんのファンというのも、
 なるほどなあというとの印象を深めましたが、
 私がこういう人と知り合い友人に紹介できたのも、
 源をたどれば邱さんのおかげなのです。
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