Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第136回
谷沢永一さんは邱さんの先見性に目を見張っています

勤務先の図書館で渡部昇一さんが
邱さんの行動にふれたエッセイを見つけた頃、
私は社宅があった木更津市の図書館に足を運びました。
本棚の中から谷沢永一さんという人の書評の類の本を見つけ
数冊手元に引き寄せました。
その一冊に『閻魔さんの休日―読書コラム166篇』
(文藝春秋。昭和58年)という本があり、
そのページをめくると、最初のところで
『欲と道連れのリアリズム―邱永漢「世の中どう変わる」』と
邱さんの著作を論じている文章が目の中に飛び込んできました。

「高度成長から現代におよぶ経済社会情勢を、
今迄のところ誤り最少に観察し続けている異色の存在、
それが『日本天国論』(『文藝春秋』昭和31年4月)以来の
邱永漢ではあるまいか。
『悪い世の中に生きる知恵』(日本経済新聞社)の『まえがき』に
『私の経済学は天下国家を論ずる大上段に構えた《治国学》でなく
《欲と二人連れ》で世の中の変化にどう対処していくかという
《斉家学》である』と彼はその立場を鮮明に規定している。
“欲の世の中”に“欲と二人連れ”でどう対処すべきかに
思考のマトを絞る。
その切実な観点から“世の中の変化”の奥を読みとる。
そこで提案される実践万策とは一応別個に、
邱永漢が描き出す“世の中の変化”、これぞカンドコロと
彼が指示する微妙なツボは、社会動態史の透視図として
連想誘発の胚珠となっている」

いきなり自分が愛着を感じている人の作品が高く評価されていて
私はいい気分になりました。
それまで私は邱さんの文章に他では絶対に見つけられない
独自の魅力を感じていましたが、
何しろマスコミの人はいつもいつも邱さんのことを
“金儲けの神様”と呼ぶので、
私は自分は欲深の人間なのかなあと
気にしていたところがあります。

しかし、谷沢永一さんや渡部昇一さんが
邱さんについて書いている文章に接して、
私は自分の内心気にしているようなことなど
単なる迷妄に過ぎないことに気づくようになりました。

というのも渡部昇一さんにしても、谷沢永一さんにしても、
その著書に目を通せばわかることですが、
世の権威におもねず、自分の心に照らし正しいと思うことを述べ、
自分が納得しないことには手厳しい批判を向ける人だからです。

そんな人が一目も二目もおく人の一人が邱さんというのを知って、
私は自分の師匠選びは間違っていないと安堵感と
自信を深めるようになっていきました。


←前回記事へ

2003年1月10日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ

HiQ Website Since August 28, 2002 (C) 2002-2012 Kyu Eikan Asia Kouryu Center. All Rights Reserved.