| 第135回渡部昇一さんが邱さんの気概ある行動に敬意を表しています
 自分の師匠は自分で選ぶほかないものと思いますが、世の中には敬意を表する人はたくさんいて、
 その人たちが自分が師と仰いでいるに人について
 どんな感想を持っているかは興味のあるところです。
 もう20数年前のことになりますが、私が新日鐵の君津製鐵所で労務関係の課長をしていた頃のことですが、
 製鐵所の図書館に行って、
 本棚をみていると『知的生活』でおなじみになった
 上智大学の渡部昇一さんの『知的対応の時代』(講談社)
 という本が目に入りました。
 本棚から取りだしてぺらぺらめくっていくと、
 「言論の不自由について」と題したエッセイがあり、
 そのなかで渡部さんが邱さんのことについて書いているのです。
 「邱永漢という人がいる。直木賞をもらった人であるが、日本の文学賞をもらった最初の旧植民地出身者としても
 話題になった。
 その後、一般の人々には株式投資の名人として、
 また金儲けの神様として知られている。
 その人の自叙伝を最近たまたま読む機会があったが、
 今まで漠然と抱いていたイメージとだいぶ違うところがあった。
 小説書きで、株をやり、不動産をやり、
 経営コンサルタントをやる人と言えば、
 何だか軽薄なような感じもするが、
 実はこの人はなかなかの国士なのである。」
 と切り出して渡部さんは、邱さんが台湾の国民政府に懇請され24年ぶりに故郷に帰るとき、
 帰国したとたんに逮捕され、
 投獄されることもあるかもしれないと考え、
 記者を連れて行った話を紹介しています。
 いざというときに伝播力のあるのは新聞記者なのでしょうが邱さんは『日本の新聞社は日本中の臆病者を
 集めてできあがったみたいなところがある』と考え、
 週刊誌とくに相手がどんな人や組織であっても恐れない
 「週刊新潮」の記者を連れて行ったのですが
 渡部さんはこのことを取り上げ、
 「言論の自由の本質」を追求しています。
 多分これが機縁になってのことでしょう、渡部さんは邱さんの『私の金儲け自伝(新版)』の文庫版が発行されるとき
 解説を担当し、
 「私は邱さんにお会いしたことはないのだが、
 独立を求める文書を国連に書いて殺されかかったと聞くと、
 それだけで行為と尊敬の念を抱く」という印象を披瀝し
 邱さんの気概ある行動に敬意を表しておられます。
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