第134回
邱さんは現代アジアを代表する思想家の一人です
私が邱永漢さんの作品のエッセンス本
『原則がわかれば生き残れる』を
編集させていただいたのは平成6年の春でした。
その頃「スポーツ・ニッポン」誌は
「邱永漢ハウマッチ」というコラム欄を
一週間に一回の割で開設していました。
私はこのコラムを担当されていた若林茂さんという記者から
取材を受けました。
「戸田さんが邱さんに実際にお会いになられたのは
いつごろのことですか?」
「はい。ほんの2年前ほど前のことなんです。
新聞の広告で不動産会社が先生を講師に招いて
講演会を開くというので、喜び勇んで会場に行きました。
最初にその会社が売り出したばかりの物件の話がありました。
その話が終わって、ふとうしろの方を見ると
会場の一番奥の席に先生がすわっておられました。
私は思わず先生の前に走っていきました。
そんな私を見て先生はすっと席から立って迎えてくださいました。
目下の人間にも折り目正しく接してくださる方なのだなあ
という印象を深くしましたね。
とっさに私は言いました。
『ボクは先生の作品のコレクターとしてなら
十指に入ると思います』
先生はニコニコ笑いながら応じてくださいました。」
興味ぶかげに話をきいてくださる若林さんに
私は言いました。
「マスコミの人は先生のことをすぐ“お金儲けの神様”と
言いますが、何か金勘定ばかりしている人といった印象を
与えるところがありますね。
先生の文章を読めばすぐわかることですが、気品のある方ですね。
あまりにお金と結びつきすぎた印象を与えない
呼び方をされたほうがいいのじゃないですか」
若林さんは「うんうん」とうなずきながら
「確かに、僕らもあんまり“お金儲けの神様”と言わない方が
いいかも知れないなあ」とつぶやかれました。
そんな若林さんに私は調子づいて話を続けました。
「邱先生は歴史に残る経済学者で、
東洋が生んだ最高級の思想家じゃないですかねえ」。
新聞のコラム欄で邱さんをかついでいる若林さんも、
このへんになると、ちょっとつきあいかねるといった風でしたが、
若林さんはそんな私の談話もちゃんと記事にしてくださいました。
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