| 第126回難問を解決した先輩は後輩にとって貴重なお手本です
 私は40歳に近づくにつれてマンネリ気分に陥り、邱さんの「サラリーマン定年、四十歳」説を読み、
 それを参考に、あれこれ考え、そして状況打開のため
 経験のない分野に身を置いて、
 新しい経験をしようと周囲に働きかけ、
 その結果ある事業部に転出しました。
 幸か不幸か転出した先が赤字部門で、その再建に取り組むことになるのですが、
 私にはその部門を立て直す知恵が湧いてきませんでした。
 そのときに私の上司であった人は再建策を提言し
 その部門を黒字化に、導くのですが、
 そのときの上司からも電話をいただきました。
 この上司も、組織を離れてから久しく会っていませんが、私は研修でリーダーはどうあるべきかを説明する際、
 この上司のことをしょっちゅう引用させてもらっています。
 リーダーのあるべき姿を具体的な形でみせてくださったからです。
 にもかかわらず、当人にそのことを伝えていないことを心苦しく思っていましたので、本を送ったあと、
 奈良市のご自宅に電話をし、たまたま本人が不在でしたので、
 奥さんにいまもお世話になっていることを話し、
 よろしくお伝えいただきたいとお願いしました。
 そのしばらくあとから、当人から電話をいただきました。「オイなんだ、俺のことを
 よく言ってくれているらしいじゃないか。
 ありがとう。俺はマイペースでゴリゴリやったので、
 ボクと第一線の間で調整役の仕事をしてくれた君には
 精神的な負担をかけていたのではないかと気にしていたんだ。
 それが立派に外でメシを食って、
 しかも一冊の本を出すくらいになったのだから、感心するよ。
 感心するというより尊敬するよ。
 それにしても、君が邱永漢さんのファンだったというのは
 ちっとも知らなかったなあ。」
 元上司のベランメエ口調はいまも健在で、私は、いまも恩をいただいていることに、深々と頭を下げながら、
 お礼を言ったことでした。
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