第122回
邱さん曰く「恥をさらさずして人に感動を与えることはできない」
邱さんはジャーナリストの世界の人から
“株の神様”とか言われたりします。
邱さんがはじめて株を買ったのは35歳のことですが、
株を買う前に、日経新聞を3ヶ月読み、その読後感として、
「私は新聞の株式欄や経済の囲み欄を根気よく読んだが、
この欄を読むたびに、私は
『この人たち、こんな偉そうなことを書いていて、
自分でもその通り実行しているのだろうか。
ひょっとしたら、口先ばかりで、株の儲けなんか全然なく、
原稿料だけが唯一の収入だったりしているのでないか』と
皮肉な受け取り方をした。もし私が株の話を書くのなら、
どうしたって自分でやってみなければならない。
自分が傷つくことなしに、他人を説得したり
感動させたりすることができるわけはない、と思った」
(『私の金儲け自伝』)と書いています。
この文章は最初に読んだときから深く印象に残りました。
「自分の恥をさらす覚悟をしなければ、
人を動かす文章は書けない」という態度が
読者の共感を呼びますよね。
何しろ私たちはしょっちゅう失敗をしでかしますから、
「私は失敗したことがありません」なんて言われると
白々しくなりますよね。
しかも失敗の次には大きな収穫をもたらすかもしれない
貴重な経験なんですね。
邱さんは、いつも新しいことに挑戦しますが、
その分だけ失敗することも多いと書いています。
しかし失敗するたびに、その分だけ、失敗に教えられて、
一つづつ賢くなる、ということも書いています。
だから邱さんは失敗することをあまり怖れないようですね。
早い話『もしもし、QさんQさんよ』(PHP研究所)の
最初の第1章は「私はこれからも失敗するつもりです」ですね。
邱さんの本を通じてそういうことを教えてもらっていますから、
私は失敗を恐れる人は失敗をしない代わりに、
たいしたこともしていないのかもしれないと
思うようになりました。
そして自分が読む本を選ぶとき
「この本には作者の実体験が書かれているか、
なかでも失敗体験が書かれているか」を
確かめるようになりました。
人が書いた本を選ぶときに、
そういう選び方をしているのですから、
自分が文章を書くとき、自分がおかした失策を書くことを
ためらいませんでした。
もっとも私の体験したことなどは極めて限られたことですが、
それでも、失策をおかしたことが、そのあと
ずいぶん参考になったことに気づきました。
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