第111回
邱さんの奮闘精神が読者を元気づけてくれます
「先生、やっぱりサラリーマンにとっては
定年の問題にどう対処するかが一番の問題です」
という私の感慨に、邱さんは
「サラリーマンにとってはそうだね」
と相槌を打ってくれました。
私は邱さんが20歳代の頃、1年間だけ、
サラリーマン生活を送ったことを知っています。
戦後、日本から開放された台湾においてのことです。
台湾で生活をしていた人たちにとって、
これから自分たちの国をつくるんだといっていたとき
蒋介石一派が中国大陸にうまれた共産党に追われて
やってきます。
そしてあろうことか、台湾で生活していた人たちに
暴虐の限りを尽くしました。
こうした動き対して邱さんは
「こんなことでは台湾の人たちの先が思いやられる」
と台湾から香港に跳んで、国連にあてて
「台湾の統治は台湾住民の総意で決められるべきだ」
と、訴状を送りました。
こうした犠牲的精神の行動が
我が身を危険にさらすことになり25歳の邱さんは
「このままでは捕まえられて、命を落とすことになる」
と香港に亡命しました。
ここからが邱さんの流浪の旅のはじまりですが、
逆境におかれながら、メゲることなく
敢然と生きてきた邱さんの人生に対する態度が
著作を読む者の心に響き、元気を与えてくれるのです。
「先生、今度自分の文章を書いて、なぜ自分が
これほどまで先生の本を読んできたのかよくわかりました。
先生は20歳代のころから、
自分の力で自分の人生を切り開いてこられたんですね。」
「うん、自分でやってきたなあ」
「ぼくたちは組織に身を預けて、自分自身の人生を
自分で開いていくことを忘れてきているところが
あるような気がします」
邱さんはあの温和なまなざしで
私の話にじっと耳を傾けてくださいました。
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