| 第100回邱さんは“生き方の神様”です
 邱さんのお陰で、「こういう本なら自分にでもできる」とうそぶいたエッセンス本を編集する作業がはじまりました。
 ただ、邱さんの作品を集めるだけでなく、
 それに解説文を書く作業も加わりました。
 私にとってはこれが難行苦行です。
 あれこれ書いては消し、また書き直すということが続きました。
 いまから思えば、どうってことのないことでも、
 こんなことを書いたら「会社に迷惑がかからないか」
 とかいったことを考え、
 自分がいかに会社思いの人間であるかを痛感しました。
 編集を進めるうちに、私は会社を離れ、研修講師の道に入ることが具体化していきましたので、
 別段、気遣いする必要はなかったのですが、
 邱さんの言われるように、
 日本のサラリーマンは「サムライ」の末裔なんでしょう。
 私はどちらかといえば、自分の好き勝手なことを
 言っていた方だと思いますが、
 私も結構会社思いのサラリーマンの一人で、
 自分が「会社」というカミシモを何重にも着、
 本音を心の底で抑えていることに気づきました。
 むろん邱さんは自由に考え、行動している作家です。そういう人の作品や行動を論ずるのに、
 解説する人間がカミシモを着ていたのでは話になりません。
 何度も書き直すうちに、私の度胸もすわり、
 ようやく本音の言葉で文章を書けるようになりました。
 そんな作業をすすめているところで、私は四方洋さんという人から取材を受けました。
 四方洋さんは昔サンデー毎日の編集長をされていたそうで、
 「選択」という会員制の経済雑誌に
 邱さんのことについての記事を載せる予定で、
 そのついでに邱さんに興味をもっている読者の意見も
 聞いておこうということでした。
 四方さんからなぜ邱さんの作品を読み続けているかと聞かれ自分の人生を開拓していく上で、
 実際に役に立つ話がきけるからだと答えました。
 と同時に、邱さんは”お金儲けの神様”と言われているけれど
 私のようにお金とあまり縁がない人間が邱さんの本を読むのは
 読みすすむうちになぜか心が充実し、やる気がでてくるからで
 邱さんに“神様”をつけるとすれば
 “生き方の神様”というのがいいのではないかと言いました。
 こうした私の談話もおり込まれた四方さんの記事は「学ぶべし邱永漢『晩節』の生きざま」というタイトルで
 「選択」の平成6年1月号に掲載されました。
 この雑誌を買っている人は正月の前に読んだようで、
 平成6年の正月には、この記事を読んだと添え書きをして
 年賀状を送ってくれた人がいました。
 これはひょっとしたら勤務先でかなり話題になるのではないかと私は内心おそれ、会社出勤の初日は欠勤しました。
 私の予想した通りのことが起こったようで、
 私の知っているあるOBから
 「正月、新日鐵の重役陣に挨拶に行ったら
 君のことばかりが話題になったぞ」といわれ、
 いまさらながら邱さんの威力と
 マスコミの影響力の大きさを感じたことでした。
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