Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第97回
“邱永漢語録”執筆の機会を得ました

私は邱さんが登場する講演会でお会いした
石原勉さんを事務所に訪ねました。
石原さんは邱さんを“責任編集者”としてかつぎ、
いまこのホームページが発信されている
邱永漢アジア交流センターの2階で
仕事をはじめられたばかりでした。

私は邱さんをかつぎだした石原さんに親しみを覚え、
石原さんがはじめられた仕事の内容を聞いたあと
邱さんの本を読んだことが
自分の経済面の設計を考え実行する上で
また会社で新規事業を企画する上で
役に立ったということを話しました。

すると石原さんは
「株とか不動産のことで、邱さんの話が役に立った
ということはよく聞くけれど、
会社の仕事で役に立ったという話は珍しいですね。
私が発行している情報誌にその体験を書いてみませんか」と
話されました。

邱さんを一枚看板にしていた石原さんにとって、
私は興味ある人物に見えたかもしれません。
一方、私としても、願ったり、叶ったりの話しで、
その場で「やらせていただきます」と応じました。
私があまりに元気よく返事をしたものですから、
石原さんは少し心配になったのでしょうか。
「うちは邱さんを看板にしている情報誌ですから、
邱さんの言葉が8割で、戸田さんの言葉は
2割くらいの割合で文章を書いてくださいよ」と
何度も何度も私に念を押しました
そんなことは百も承知で、自分で長い文章を書く自信は
ありませんでしたから、その通りにしますよと
私は返事をしました。

さて、いよいよ自分が会社でニュービジネスを
企画したころのことを思い出し、
それらの場面で私が刺激やヒントをいただいた
邱さんの文章を思いだす作業がはじまりました。

その直後に邱さんが主催する
3回目の中国視察旅行に参加しました。
石原さんもそのツアーに参加しましたが、
私は邱さんはもちろんですが、
邱さんに関心を寄せている人にも多いに興味がありました。
そこで、同じバスに乗って行動をともにした
約50名くらいの人ほぼ全員にどこかで言葉を交わし、
インタビューを試みました
その結果、邱さんに関心を寄せる人たちがどういった人なのか、
ほぼその輪郭をつかむことができました。

石原さんの情報誌の読者も、多分こういう方々であろうと想定し、
帰国後、「シロウトの精神を大切に」からはじまって
「情報収集に先立つものは問題意識」とか
「商売には市場調査よりカンピューターが要求される」とか
私なりの“邱永漢語録”を書きはじめました。


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2002年12月2日(月)

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