Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第91回
第二の人生を託すための仕事を探しました

「定年」は「人生の終着駅」のように思われています。
しかし、私は「定年」は組織が維持していくために考えだされた
約束事であって、一定の年齢に達したら、人間が途端に駄目になる
というものでもなかろうと考えてきました。
邱さんの本に「定年という名の始発駅」というのがありますが
「人生の終着駅」でなく、「後半の人生に向けての始発駅」
として、再出発させたいと考えていました。

実際には50歳になる前のところで
後半の人生を託せる仕事を探しはじめました。
邱さんがあるところで
「サラリーマンが在職中にやっておくべきことは
定年後にやるべき仕事をあらかじめ決めておくことである」
と書いていて、この言葉が頭に残っていました。
私は60歳になってから第二の人生に挑むより、
残りの人生が30年くらいのところで、
舵のとりかたを変えた方がやりやすいかと考えたのです。

ただこの先、やってみたいと思うことが
はっきりしていたわけではありません。
しかし仕事上でいろいろな体験をしてきましたから、
そうした体験を活かし、人さまに喜んでもらえる仕事が
何かあるのではないかと考えました。
会社の上司や人事部の人に対して、
自分はこの先、特性を活かせる仕事を探したいと宣言し、
自分でもそのための行動に出て、何人かの人に会いました。

私はコンサルタントの仕事などに興味がありましたが
これという職場を見つけることができませんでした。
あとになって知ったことですが、転職する場合
相手からお誘いがあるのはせいぜい40歳までで、
それを過ぎたら求職の声はなかなかないものです。

そうこうするうちに、会社の人事部の若手の人が
「こういう仕事は戸田さんに向いているのではないですか」と
会社に舞い込んできたマネジメント研修の講師の口を
紹介してくれました。
「これからは会社の肩書をはずして一勝負してみたい」と
宣言していたことが、
第二の仕事探しにつながったのかもしれません。

私は50歳になる直前の雪の降る日、
成田のホテルで開催された研修のセミナーに参加し、
その研修の講師になることを決めました。


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2002年11月26日(火)

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