| 第89回邱さん曰く「サラリーマンの終着駅は淋しすぎる」
 邱さんがサラリーマンに向けて書いた本に『貧しからず富に溺れず』という本があります
 そのなかに
 「サラリーマンの終着駅は淋しすぎる」と題した章があり、
 邱さんはそのなかで次のようなことを書いています。
 「サラリーマンが将来について心配しなければならないとすれば、
 それは多分、定年後の生活設計に尽きる。
 定年後の生活設計がちゃんとできておれば、
 つまり死ぬまで、あまり収入も減らず、
 健康でサラリーマンの延長線上で
 仕事ができていく見込みさえたてば、本当は一生、
 お金に縁などさしてなくても別にかまわないのである。
 ところが、実際問題として、定年になると、
 一応、まとまった退職金をもらえる代わりに、
 それがていのいい手切れ金みたいになって、
 もう会社にはいけなくなる。」
 「なにごとも『終わりよければすべてよし』というのが、サラリーマン生活はあとの準備ができていなかったら
 『後味の悪い』商売の一つである。
 とくに一番最後が悪い。無我夢中で一生懸命働いてきた、
 そういう気持ちがあればあるほど、
 『何か間違ったのではないか』と思いたくなるような終着駅が
 そこに待っているのである。」
 「もし定年までの生活が
 お金を目的とした生活でなかったとしたら、
 またそれなりに結構、張り合いのある生活であったとしたら、
 定年後の生活も生活費の確保ができたから、
 まあいいやという生活ではないだろう。
 まだあと15年も20年もあるかもしれない残りの人生を、
 単に余生と思って無為に過ごすわけに行かないと私は思う」
 「いっそ定年を40歳にして、40歳からは第二の人生にして今度は定年のない職業を選んだ方がよいと私が主張したのも、
 定年の持っているこうした残酷な面を
 回避できたらと思ったからである。」
 「私のところに相談にくる人を見ていると、お金の準備はまあまあだが、
 あとの仕事の見込みの立っていない人が意外に多い。
 大学出たての時は、受け入れてくれる会社がいくらでもあり、
 仕事のやり方を教えてくれる先輩もたくさんいるが、
 定年後の生き方について手をとって教えてくれる人は
 ほとんどいないと言ってよいだろう。」
 実は私がこの一連の文章を読んだときはもう私はそれまで勤めていた会社をやめ、
 後半の人生を托せる仕事を探そうと走りだしていました。
 しかし私が50歳を目の前にして、周囲の期待に背いて
 自分自身の後半の仕事を探しだしたのは、
 ここに書かれているような邱さんのアドバイスに耳を傾け、
 それをなんとか活かしたいと考えていたからです。
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