Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第88回
人生80年時代には後半の時間が長い

私は北京のマンションの一室を買ったり
上海に拠点をおく国営企業の株を買ったりするなど、
自分のお金のかなりの部分を中国で働かせるようにしました。
しかし、私にはそれより前に決めなければいけない
もっと大事なことがありました。
それは自分自身の後半の人生を託せる場所を探し出すことでした。

43歳のとき、八幡製鐵所内外の遊休地を活用して
新規の事業をつくりだすことになった私は
お年寄り向けのマンションをつくる仕事を企画したり、
テーマパークのPRに従事したり
そのあと隣接ホテルを誘致する仕事に従事しました。
この仕事に見通しがついた頃のある日、
私は妻と一緒に横浜の山下公園へ行き、
ベンチに身をかがめて海のかなたを眺めていました。
「さて、忙しい毎日が続いてきたけど自分は何歳になったのかな」
と自問しました。
そして自分がもう49歳になっていることに気づいて
すこしあわてました。

49歳から、そのさき80歳まで生きるとすると
それまで31年の年月を生きることになります。
一方、私は22歳で会社に入りましたから、
49歳になるまで27年働いてきたことになります。
これまで会社勤めをしたのが27年で、
これから生きるのが31年となると、
会社に勤めてきた以上の年数を生きていくことになっており、
そんなことに気づいたのは驚きでした。

とっさに、これまでの人生が
なんと楽な人生であったかに思い至りました。
会社組織の中で仕事をしている限り、
仕事がうまくいこうがいくまいが、
毎月給料が支給され続けられました。

それに対して、その先には定年が待っており
そこからはサヨナラしなければなりません。
そのさき、仕事をしてお金を稼ごうとしたら
自分の力で泳いでいかなければなりません。

私の赴任先には開発すべき遊休地はいっぱいあり
所期の仕事を達成した私にはもとの赴任先に戻り
開発の仕事にかかることが期待されていました。
早く帰ってこいと矢のような催促が飛んできていました。

それまでの私であれば、そうした期待に素直に従いました。
しかし、50歳を目前にした自分は
自分に納得できる人生を追求したほうが
自分にとっても、また会社にとっても
いいのではないかと考えました。
そこで私は周囲の期待に沿うより、
自分の意に沿う生き方を優先させることにしました。


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2002年11月23日(土)

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