第84回
邱さんの台湾体験は私たちにとっても貴重です
邱さんが平成2年に出版した『金儲け発想の原点』には
昭和35年頃の日本で、
当時無名であった会社から成長会社を紹介し、
自身もそれらの会社の株にお金を投じたため、
元手の200万円が一年たったら25倍の5000万円に
膨れ上がったと書かれています。
ウソのような話ですが、
邱さんの予想が的を射たということですね。
さて、こうして邱さんは、日本では“株の神様”と
呼ばれるようになるのですが、若い頃は台湾独立運動に賭け
時の体制に歯向かったために亡命生活を余儀なくされ、
台湾の国民政府と対立関係にあった人なのです。
それが中国政府の国連加盟が承認され、
台湾が世界の孤児になった頃に台湾政府から
「台湾の人々の精神安定剤になって欲しい」と
帰国を要請され、邱さんは考えた末、故郷に帰る道を選びます。
そして昭和47年に24年ぶりに故郷の土を踏み、
それから台湾の経済再建のため、獅子奮迅の活躍をします。
邱さんによると、自分が台湾に戻った昭和47年頃の台湾が
昭和35年頃の日本と同じような経済水準にあり、
これから経済が発展していくぞ
という時期にあったということです。
私が邱さんの本を読むようになったのは、その7年後のことで、
私が最初に読んだ『悪い世の中で生きる知恵』で邱さんは
「台湾の会社の株を買いませんか」と呼びかけていました。
私は手が出なかったと前に書きましたが、
あれはどうなったかと思っていたら、
邱さんは平成2年に出版した『アジアで一旗』で
その顛末の一端を紹介しています。
邱さんは台湾との対立関係が解消してから
台湾でうなぎの養殖をはじめ、その関係で長男の世悦さんが
日本と台湾の間を行き来するようになります。
そこで邱さんが世悦さんに100万円のお金を持たせて
台湾の株を買うようにすすめます。
世悦さんはそのお金で電機会社の株を買い、
長くそのままにしていました。
たまたま日本で株が大きく下がり、
台湾の株も暴落する可能性があるというので
この台湾の電機会社の株を売ったら
なんと1400万円になっていたということなのです。
やっぱり台湾の株も高くなったのですね。
この一連の話は
「経済が大きく成長するときは株も高くなる」
ということを如実に語っていますね。
邱さんは「日本や台湾で起こったことは中国大陸でも起こる」
と言うようになるのですが、
私はこの話に何の疑義もはさまなくなりました。
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