Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第81回
大連の機械工場の受注は五年分ときいてビックリ

上海の浦東地区を見学した翌日は
上海証券取引所を訪れました。
上海証券取引所はその3年前に開業したばかりで、
その真ん前のビルの工事現場に、
「邱永漢集団」という看板がかかっていいました。
「へえ、もう工事にかかっているんだ」と
私はその看板に見入りました。
私が香港を訪れた平成3年の夏、
邱さんが上海に飛んで着手することを決めた
高層の事務所ビルの建築現場だったのです。
私たちはその現場の反対側にあった
上海証券取引所の会議室に案内されました。
当局の人から株の取引の実情についての説明を受け、
おや、中国でも株の取引が始まっているんだと知ったことでした。

上海のあと大連を訪れ、新しくできた港を見学しました。
その日の夕方近くだったか、大連の当局の要請で
工作機械を製作する国営工場を見学することになりました。
私たちは見学者として、この工場のなかを歩きました。
見学した工場は、日本の最新鋭工場を見なれた目から見ると
建物も設備も古ぼけて見え、働いている人も多くて
ぶらぶらしている人たちが目立ちます。

このツアーには建設会社ナカノコーポレーションの
社長をしていた米山卓さんが参加しておられました。
米山さんは私が鉄鋼会社に務めていることを知って、
この工場を見学したあとご自身が昭和27年に
NKKの鉄骨加工工場を訪れたときのことを話してくれました。
この工場があまりに古いので米山さんも昭和20年代の頃の
日本の工場の風景を思い出されたのでしょう。

工場を見学したあとツアー一行は会議室に通されました。
約30分にわたってPRビデオが流れ、
ツアー参加者には退屈感が漂いました。
このビデオの放映が終わると邱さんがすくっと立って、
「皆さん、今のビデオとても長かったですね。
私は『中国人と日本人』で
『日本人の自己批判、中国人の自画自讃』と書きましたが、
本当に中国人は自画自讃が好きですねえ」と話すと、
参加者からドット笑いが起こりました。

ここで邱さん、いま仕入れたばかりの話を伝えてくれました。
「私、いまここの工場長に聞いたのですが、
この工場では向う5年間の受注が入っているそうです。
こういうことは日本の高度成長期にもあった話なんです。
昭和35年頃のことですが、群馬の高崎にある小島鉄工所を
見学したとき、小島鉄工所は10年分の注文を持っていたのです。
育ち盛りの経済段階では似たようなことが起こるんですね。
今の中国は昭和35年頃の日本と同じような環境にあります。」

邱さんが成長株の一つとして小島鉄工所を推奨し、
ご自分でも小島鉄工の株を買った話は
邱さんの本に書かれていて読んだことがあります。
ただそれはずいぶん前の話で、今の時代に生きる私などには、
直接参考になる話だとは思っていませんでした。
ところが、いま訪れている中国で現に起こっているとなると
話はすっかり変わってきます。
いまの中国でこれから伸びていきそうな会社を見つけ、
その株を買えば、邱さんが昭和34、5年の頃に
日本で試した成長株買いを私たちも体験できるからです。

私は日本に帰ったら昭和30年代の日本を邱さんは
どのように見ていたのか調べてみようと思いました。


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2002年11月16日(土)

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