第80回
中国の実情を自分の目で確かめてみよう
邱さんが率いる中国投資視察旅行も
この平成13年でもう23回を数えるようになったのですね。
中国の様子を肌で感じる様にするには
やっぱり中国に行ってみることだと思いました。
邱さんの『中国人と日本人』が発売と同時に
たちまちベストセラーになった平成5年。
おりよくゴールデン・ウイークに
第3回目の中国視察旅行が予定されていると聞きました。
私はその時にはもう、銀行からお金を借りる手続きをし、
いずれ北京の一角にできるであろうマンションの一室を
買うことにしていましたが、
中国の様子をうかがういい機会だと思い、
邱さんが引率する投資視察旅行に参加して
上海、大連、天津、北京の各地を見て回りました。
小平さんが中国南方の経済開発特区を視察し
「こういう地区をほかにもつくらなくては」と
改革開放の精神を鼓舞した翌年のことです。
最初に訪れたのが上海で、
「21世紀のマンハッタンはここだ」
と喧伝されていた浦東開発地区を訪れました。
最近はこの浦東の風景がよく報道されるようになっていますが、
私が8年前にどんなところだろうと思って行ったときは、
広い区画の中に真新しい英語文字の看板がかかった工場が
一つか二つ建っているだけのところでした。
その中の「外高橋」保税地区で開発計画について説明を受けたあと、
浦東の開発区域を一望しました。
私は以前、千葉の新日鉄の君津製鐵所に勤務していたことがあり、
東京湾の海岸ぞいに
帯のように広がる京浜工業地帯を思い出しました。
このゾーンの開発は日本人が自分たちで貯めたお金で
行なったものですが、浦東の開発は外国の資本を誘致し、
それをテコに経済の発展を呼び起こそうとしています。
私はそのことに興味を持ち、
たまたまバスのなかで隣り合わせになった邱さんに
ここで採りいれられている開発方式についてききました。
「外国からの資本をテコに開発するという方法は、
もともとは台湾の人たちが台湾の経済を発展させるために
とりいれた方法です。
そのやり方を中国大陸の人たちがマネしたんです。
最初は台湾や香港や在外華僑の資本を呼び込みやすい
深 のような場所に『経済開発区』をつくり、
それがうまく行ったので、
この上海とか天津とか大連でも『経済開発区』を
つくるようになったんですよ。」
と教えられ、なるほどと思いました。
また私はつねづね邱さんが新しいことを考え出すことに感心し、
その着想の一端を聞いておきたいと思いましたので
こんどの場合、中国に起こっているといわれる変化を
邱さんはどうやってつかまれたのかききたいと思い、
「中国への関心は台湾の人たちに教えられてのことですか」と
きくと、邱さんは
「台湾の人たちに教えてもらったんじゃなくて、
私が台湾の人達を誘って中国を案内しているんですよ」
という返事が返ってきました。
私は自分の質問のレベルが低かったと反省しました。
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