Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第79回
投資資金の借り方に知恵をしぼりました

私が北京のマンションを買おうかと考えたのは
いまから8年前のことで
世に評論家多しといえども
これから先、中国が発展するといっていたのは邱さんだけでした。
邱さんがひとり、「これから中国は大きく変わる、
中国はいずれ世界の工場になる」といっていて、
私も香港で投資をしているんだから
もういいんじゃないのということにはならなかったのです。

またまた銀行にお金を借りに行く必要が生まれました。
しかし今度は信用度が極端に低い中国ですから
銀行の人の対応も香港のとき以上に
慎重になるだろうと思いました。
そこで私は邱さんが香港投資をすすめた頃、
邱さんをサポートした銀行はどこだったのかを
知りたくなりました。
あのときには途中に天安門事件があり、
この事件のあと、香港の土地も株も極端に下がり、
大騒動したはずで、そうした場面をくぐりぬけているのだから
こんどの中国投資についても理解があるのではないか
と思ったのです。

私はその銀行の名前を教えてもらい、
ひとりで融資を頼みにいきました。
私が邱さんの香港投資のときのことを話題にすると
そのとき邱さんをサポートした担当者が顔をだし
天安門事件のときには、
そのあとどうなるのかとセンセイにつめよったものです。
といったことを話してくれました。

そうした銀行に目をつけたのが
よかったのかどうかわかりませんが、
少し時間はかかったものの、
首尾よくお金を借りることができました。
いまから思えばバブル現象が
ほころびをみせはじめたころですが
まだまだその余韻が漂っていて、
私のマンションも担保価値をもっていたようです。

私はすぐに神戸に住んでいる姉に電話を入れました。
その頃私は40代の後半になっていて、
その後の人生を託せる仕事を探そうとしていました。
仕事が変われば、私の支払い能力が下がる可能性があります。
そこで私は姉に電話をし、マンションを二人で共同所有し、
私が借りたお金の返済を二人で払うようにできないか打診しました。

姉はつねづね私が邱さんの雑誌に載った文章や本だけを
手がかりにして自分の経済面の対策を講じていることを面白がり、
また感心もしてくれていました。
そんなこともあって姉は私の依頼に応じてくれ、
私は北京に建つであろうマンションの一室を
買う手続きに入りました。


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2002年11月14日(木)

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