第78回
香港投資の道は中国大陸に通じていました
香港現地で一坪ショップを案内してくれたとき、
案内をしてくれた 耀明さんに
「邱センセイはいま、どうされているんですか」と
ききました。
「センセイはいま台湾の実業家達を連れて
北京と上海に行っているんですよ」と
さんが答えてくれました。
日本に帰ってきて『SAPIO』誌を見ると
邱さんが北京と上海に行ってきたことを伝える文章が
載っていて、一瞬私は、自分が時代の先端を
走っているような気分になったことでした。
そしてその『SAPIO』誌に邱さんが
当時連載していた「バブルのあとの物語」で
「投資の本命は中国大陸である」と書きました。
となると私の関心は邱さんが中国でどんな仕事を
始められるのだろうかに向かいます。
新しい仕事を創り出すことの難しさをウンと味わっていましたし、
なにしろこれから邱さんが事業を展開しようとする先は
リスクが多いとされている共産中国です。
私は香港投資のときにお世話になったスタッフにききました。
すると、上海の浦東に事務所ビルを建て、
北京の外港である天津の港で中小企業向けの倉庫を建て、
また北京の中心部で外人が居住するための
高層住宅を建てることにしたと知らせるペーパーが
邱さんの筋から届きました。
そのことを知ると、邱さんのあとについて
走っていきたいという気持ちがつよく働きだしました。
邱さんがはじめる事業のどこかに、ささやかながらも
自分のお金を投じたいという気持ちになったのです。
最初は天津の港に倉庫を建てるという話が
面白そうだなあと思いましたが、
北京の高層マンションの話も魅力的でした。
いぜん東京で外人向けのマンションを見たものの
高くて手が出なかったということを経験し、
東京で果たせなかったことが北京で実現できるかも
と思いました。
ただ、いずれの物件についても中国投資の話は
自分一人で背負うには少し荷が重く、
姉にも一枚かかわってもらう必要があると考えて、
それにはマンションの話のほうが通りがいいかと考えました。
そこで北京にできるマンションの一室を
手に入れようということにし、
再び投資資金の調達のために、動くことになりました。
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