Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第76回
邱さんが描く「香港の将来」に賭けてみよう

タイ、シンガポール、香港の三つの場所を
訪れようと思ったのは気分転換をはかることでした。
ただシンガポールと香港には
不動産の売り物の話が入っていたので、
寄ったついでに見てみることにしようといった程度のことでした。

タイとシンガポールを見てまわったあと香港に入りました。
そのときの香港は7年後に
中華人民共和国に返還されることになっていました。
その頃、日本国内で新聞やテレビを見ていると
香港は共産中国に飲み込まれて、
ゴースト・タウンになってしまうぞという
悲観的な論調の報道ばかりで、
私が出席した投資セミナーの主も
そうした流れに従っていたのでしょう。

それに対して邱さんは
「1997年に向けて大陸の香港化が進む」
「香港に投資する人は97年以降を怖れない」
とジャーナリストたちと正反対のことをいうのですから、
ヒトゴトながら香港はどうなるのだろうと少し気になりました。

私は香港を訪れる前に、丘世悦さんの会社の人から
幾つか投資物件の紹介を受けていました。
その前に訪れたシンガポールで見た不動産は
私の投資可能な範囲を超えていましたが
香港の物件の中には700万円程度のものがまじり、
買えなくもないものも入っていると思っていました。

香港で私と友人を案内してくれたのは
邱さんの香港事務所の現地責任者だったケ耀明さんです。
ケさんは私の求めに応じて700万円の売り物のところに
つれていってくれました。
その物件は香港島と反対の九龍地区の商業ビルの2階にあり、
一坪足らずの小さく区割りされたショップがぎっしりと並び
夜になると仕事帰りの若い人達で一杯になるとのことでした。
こうした投資物件を実際に見ると、
物見遊山気分の旅とはいえ
これにタッチするかタッチしないか
自分なりの態度を明かにする必要に迫られます。

その日の夕方、私は「邱永漢手帳」に出ている金牛苑に行き
友人といっしょにベトナム料理を楽しみました。
料理はおいしかったのですが、食事がすすむにしたがい、
その日の昼に案内してもらった一坪ショップを
どうするかというテーマが頭をもたげてきました。
海外投資のセミナーに出席したくらいですから
私のなかには海の向こうの不動産に
お金を投じる体験をしてみたいという欲求が
潜在していたのでしょう。
自分の態度をはっきりさせねばと考えました。

難題は香港の将来をどう読むかです。
そこで夜になったら、もういちどショップを訪ねてみようと
思っていた当初の考えを改め、
ホテルの一室にこもって、持参していた邱さんの本
『海の向うが面白い』を精読することにしました。

「中国の近代化の過程で香港の果たすべき役割は今後も続く。
それは限りなく社会主義に近づいた資本主義と、
限りなく資本主義に近づいた共産主義の
『翻訳機』の役割を果たすことである。
中国と近づきになる自由諸国の企業は
いきなり大陸に乗り込むよりまず香港に拠点をおく。
中国側としても、香港が海外貿易の最大の拠点だし、
農産物をはじめ国産品を大量に買ってくれるところである。
中国大陸にとってまたとない金蔓である。
そういう金蔓を自分らの手で断ち切って、
『さあ、11億人、皆で仲良く貧乏しましょう』と
いうことにはならないであろう。
とすれば、1997年に向かうにつれて、
香港の地位は益々重要となり、
その経済価値が増すことはあっても減ることは到底考えられない」
(『海の向うが面白い』平成2年)

私はこの旅に「アジアで一旗」「アジアの風」
そしてこの「海の向うが面白い」を持参していて
待ち時間がでる都度、読みふけっていました。
そしてホテルでこの文章を何度も読みかえしましたが
俄かじこみの読書では、邱さんの深い読みに届かず、
「貧乏な中国大陸の人たちがこの香港を見たら、
こういう街に住めたらなあと思うに違いないだろうなあ」
といったくらいにしか理解できませんでした。

しかし理解は届かぬまでも、この香港での投資は
どの推理が正しいのか、それを見極める格好の場だ、
自分は邱さんの見方に賭けることにしよう、
もし投資に失敗したらわずかながらもっている
不動産を売って穴埋めすることにしよう
と考えて成田についたことでした。


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2002年11月11日(月)

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