| 第63回立志伝中の人物とのつきあいは邱さんの本で練習ずみでした
 石橋さんが見学の慰労会の席で呼び寄せられたのは当時部長で、今常務取締役になられている梶本武士さんです。
 それから月に1回か2回の割で私は梶本さんをめがけて、
 大和ハウスの本社を訪ね、検討を進めていただくようにお願いし、
 梶本さんからの質問や注文に答えていくことになりました。
 私の大和ハウス通いには、私がテーマ・パークの広報担当をしていた頃、
 八幡製鉄所の幹部の使者役として
 私にホテル建設の可能性について打診してきた
 建築士の開田一博さんがいつも一緒です。
 ミーティングが終わると開田さんは小倉方面に、
 私は東京方面にと互いに反対方向に向かいますので、
 ミーティングは新大阪駅までの地下鉄の中になります。
 どちらからともなく話がはじまります。
 「今回の話も前に向いていましたねえ」
 「うん、本当にそういう感じだね」
 といった会話を交わしました。
 平成3年の半ば以降のことで、
 今から考えたら世の中がバブル崩壊に向かっていく頃のことです。
 その後、石橋さんは何度か北九州市にお見えになりましたが、
 その都度私は小倉駅で石橋さんを迎えまた見送りました。
 そして平成4年には早くも工事が始まり、お願いに上がってからわずか2年のうちに
 「本事務所」跡地にテーマパーク隣接ホテルとして
 「北九州八幡ロイヤルホテル」がダイワロイヤルホテルシリーズの
 20何番目かのホテルとして誕生することになりました。
 私が北九州に3度目の赴任をして7年目のことでした。
 私が大和ハウス工業に出入りするようになった直後から石橋さんは日本経済新聞に「私の履歴書」の連載をはじめました。
 その前の連載者は元首相の中曽根康弘さんでしたが、
 石橋さんは「中曽根康弘さんの履歴書に比べたら
 私の書くことは波瀾万丈で読者を引きつける力があると
 記者から言われた」と笑っておられました。
 こういう立志伝中の人とどう付き合ったらいいのか私の会社には戸惑いを見せる人がほとんどでした。
 怖がって誰も会いたがらないのです。
 たまたま私が読み続けている邱さんの本には
 多くの立志伝中の人物がたくさん登場します。
 こうした文章を読むうちに、事業を興した人に対する
 親しみと敬愛の念を持つようになっていました。
 私にとっては立志伝中の人物とのつきあいは
 邱さんの本で練習ずみだったということになるのかも
 しれません。
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