第60回
邱さん曰く「見えない未来はいつも難しく見える」
邱さんの『企業家誕生』(のち『四十歳からでは遅すぎる』と改題)
という本に「過ぎ去ったものはやさしく見え、
見えない未来はいつも難しく見える」という言葉があります。
新規の仕事を考えだす使命を受けて呻吟していた頃の自分を
思い出すたびにこの言葉が頭に浮かんできます。
私が新規の事業を企画するために
北九州市の八幡製鐵所に赴任したのは
入社してから、3度目のことでしたが、赴任のたびに
街が落ち込んでいることを感じました。
私は自分のような人間が来たからと言っても
何の役にも立たないのではないかと考えました。
赴任直後のある夜のことですが
私は単身赴任寮に近い黒崎という駅に下り、
電灯もまばらな暗い夜道をひとりとぼとぼと歩いて
寮に向かいました。
道中、私は自分に「2年くらいたったところで、
『せっかく君にも来てもらったけれどあまり変わらなかったね』
と言われて、東京に舞い戻ることになるだろうなあ」と、
わが身に起こるであろう事を確実視するようになっていました。
実際にはお年より向けのマンション事業を誕生させることになり、
また全社の方針でテーマパークが生まれるようになったのですから、
考え方次第で新しい環境をつくり出すことが
できることが実証されました。
であれば、前途に明るさを感じるようになったかといえば
答えはノーです。
生み出すまでの過程が大変で、地方で事業を展開することの
困難性をより痛感するようになったのです。
そうした自分に加えてまた難題が投げかけられました。
東京に戻った私は会社の取引銀行から紹介を受けた
ディベロッパーと共同研究をしました。
数回打合せをして出てきた結論は私が予想していたのと同じでした。
ただ本社における私の上司は、課題解決の難しさを感じつつも、
それ以上にホテル呼び込みの必要性を痛感していた人で
私がディベロッパーと共同研究した結果を報告すると、
「よし、この結果とあわせて、
地方都市のホテルはどういう仕組でできているのか
トップに説明しようじゃないか」と言い出しました。
私がそのための資料をまとめると、
上司は早速、社長、会長のところへ報告に行き、
執務室に帰ってくるなり、
「大和ハウスさんはホテル事業をやっているのか?」
と私に聞きました。
「大和ハウスさんはリゾートホテルを経営されていて、
自前でホテルを建てて自分で経営もされているようです」
と私は答えました。
会長から「大和ハウスの石橋さんに相談したらどうだろう」
という話が出たようなのです。
あとから考えると、何としてでもホテルを呼び込もうとした
情熱を燃やした私の上司の態度が
不可能を可能にする道を開くことになりました。
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