| 第36回バブルの来襲で投資場所を東京から横浜に切り替えました。
 自分の家ができた直後に、私は製鉄所を去り、慢性的に赤字になっている部署に移りました。
 その部署は東京の本社ビルの中にありましたので、
 私は建てたばかりの自宅から通勤することになりました。
 自宅から通い、新鮮な気持ちを味わうことができましたが、
 問題の多い部署でしたから、
 夜遅くまで働きタクシーで帰るのもしばしばで、
 会社で寝泊りしたことも何度かありました。
 幸いにして私の上司が強力にリーダーシップを発揮し、赤字解消の道筋をつけてくれました。
 私も久しぶりに心の落ち着きを取り戻すようになり、
 一家の経済を考えるゆとりがでてきました。
 当時の私の関心はワンルームマンションをもう一つ買って月に30万円程度のお金が定期的に入ってくる
 体制を整えることでした。
 ただ、私が2つめのマンションを買った直後から
 東京のマンションが急騰し、
 それまで1200万円とか1400万円とかで買えた
 マンションが軽く2000万円を超えるようになりました。
 のちに言うバブル現象の始まりです。
 経済が発展して富がふえれば、それが不動産や株に回って不動産も株も高くなるというのが
 邱さんから教えてもらっていたことでした。
 だからマンションの値段が高くなってきたというのは
 邱さんがかねてから指摘していることを裏書する現象だと考えました。
 マンション価格が高くなるというのは、マンションを保有する立場からは歓迎すべき現象です。
 ただ、マンション価格の高騰につりあう形で
 賃料が上がるわけではないので、投資効率は落ちてきます。
 銀行から借り入れたお金をテコにして不動産を買い入れ、
 その不動産からの収入をローンの返済にあてようとする人間にとっては
 東京のマンションはすっかり割に合わないものになりました。
 ただ、私には、将来に向けた経済対策として
 定期的に月30万円入る体制を整えたと思っていました。
 そこで、私は投資の場所を東京から隣の横浜に移し、ひと夏、横浜の経済の成り立ちをあれこれ調べてみました。
 横浜は職業の分化が東京ほどでなく、
 ワンルーム・マンションを利用する人は限られると見ました。
 ただ横浜のビジネス街である関内という駅から一分のところで
 ワンルーム・マンションを見つけ、これならこれまで東京で
 享受してきたと同じレベルの成果が得られると判断し、買いました。
 このマンションは長く不動産会社の事務所として利用され、
 ごく最近、音楽教室として活用されるようになりました。
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