第276回 (旧暦11月12日)
「寄り物」は自分の感性で開く「玉手箱」です
昨日は、浜辺に打ち寄せられる「寄り物」と、
その「寄り物」を渉猟する「浜歩き」の話をしましたが、
この「寄り物」の世界というやつはきわめて裾野が広いため、
もう少しこの話を続けてみることにしましょう。
それでは、昨日書いたように、
雑多な寄り物のなかから海藻や流木を拾い集め、
それを食料や肥料、燃料として
日々の生活に利用する人々がある一方で、
たとえば、渚に漂着した板切れや棒切れ、
石ころなどに神が宿ると信じ、(これを「寄り神」と呼びます)
それを御神体とした神社を建立して
大漁や航海の安全を祈願した歴史があり、
漁村に祀られた神社の多くが
みなこうした由来を担っているのです。
また、鎌倉の場合でいえば、材木座海岸の沖合い間近に
「和賀江島」という人工の島の残骸があるのですが、
ここは鎌倉時代に日宋貿易船の係留地として築かれた島で、
多くの宋船が難破座礁して沈没している記録があり、
この宋船の積荷であった磁器が、
長い時間をかけて底流によって浜辺に運ばれ、
つい30年ばかり前までは、材木座や由比ヶ浜の渚で
その寄り物を結構拾うことができたのでした。
そのため、目利きの人たちは毎朝浜を歩いてそれを拾い集め、
コレクションとしたり骨董屋に売りつけたりしたようですが、
中には、自宅の浴室の壁一面にその磁器を埋め込んで
楽しんでいた人もあったのです。
そしてまた、かの島崎藤村は、
伊良湖岬に漂着したヤシの実に詩情を募らせ、
「椰子の味」の名作を詠い上げたのでした。
つまり、「寄り物」というやつは、
それと対峙する人間の感性や知識によって、
さまざまな価値を生み出すことができる
「玉手箱」のようなものなのです。
ちなみに、下の2枚の写真は、
仙人が能登半島の千里浜海岸で見つけた
シラカバの樹皮を丸めたロシア製の漁網浮子と、
アベマキの樹皮を削って作ったフィリピン製の漁網浮子ですが、
それぞれの樹皮の浮力を巧みに活用していることについては
「ナルホドなあ」と感服する一方で、
これらに混じって韓国・中国・台湾などの
プラスチック製の漁網浮子が大量に漂着している光景を見ると、
シベリア地方やフィリピンにおける工業生産力の遅れを
実感として認識させられることにもなるのです。
その意味では、こうした漂着物は、
新聞やテレビでは報じられることのない
沿海諸国の末端の情報を如実に伝えてくれる
希少な媒体ともいえるのではないでしょうか。
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ロシア漁船が使うシラカバ樹皮の浮子 |
フィリピン漁船が使うアベマキの樹皮を削った浮子 |
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