蓬莱仙人・大海淳さんの
身体にいい話

第250回 (旧暦10月12日)
「1万円生活」に半世紀前の体験を活かそう

「1か月1万円生活」というのは、
現在の日本人にとっては一種の「耐乏生活」ですから、
つい半世紀前に日本人全員が体験した
「耐乏生活」のなかで育まれた知恵を思い起こし、
それを活用することもひとつの方法といえましょう。

仙人が物心ついたころの日本は、敗戦による大混乱期で、
極度に食糧が不足し、すべての国民が空腹を耐え忍ぶ時代でした。
つまり、マスコミで報じられている
北朝鮮の食糧事情がもし本当であるとすれば、
それと似たような状態だったということです。
そのため、わずかなコメにイモや豆などを
増量材として加えることでカロリーの不足を補う
「節米料理」とか、コメのかわりに雑穀や小麦粉などを
主食に充てる「代用食」などが日常となっていたのです。

ところが、その増量材や代用食となるイモや豆、小麦粉すら
満足に行き渡るわけではありませんでしたから、
実際には、これらの増量材や代用食を
さらに別の食材で増量したり代用したりして、
かろうじて生命をつないできたのが
現実だったといわなければなりません。

ちなみに、昭和20年(1945年)8月の終戦直後に刊行された
婦人雑誌には、こんな代用食メニューが掲載されていますので、
その要約を紹介しておこうではありませんか。
「ドングリ粉4、小麦粉6の割合で混ぜ合わせた粉を
塩を加えた水でよくこね、30分ほど寝かせてから、
小麦粉を振った板の上で3mmの厚さにのばしてウドン状に切り、
具を加えて味付けした煮汁の中にほぐしいれて煮込む……」

はやい話が「ドングリうどん」というわけですが、
縄文時代ならぬホンの50余年前のニッポンでは、
こんな形でドングリが実際に食用されていたのです。
ということは、少なくとも
あなた方のオトーサンやオカーサンたちは、
こういうものを食べて生命を永らえてきた
ということにほかなりません。
となれば、「1万円生活」のために、
あるいは大地震などの災害時のために、
オトーサン、オカーサンたちが培ってきた
こうした知恵を活かさないテはないというものですゼ。

昔は、こんな家庭用の製めん器が普及していましたっけ

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