第236回 (旧暦9月27日)
「1万円生活」で気付く「採集」の意味
昨日は、「1万円生活」を過ごすには
弥生人や縄文人たちの知恵に学ぶことも必要だと書きましたから、
今日もその話を続けることにしましょう。
縄文人たちの生活は、ある時期から集落内にクリ林などを作り、
「半栽培」的な方法も加えられてはきますが、
基本的には栽培や飼育という人工的・計画的な手段ではなく、
狩猟や採集という方法にとって食糧を確保していました、
やがて、「イネ」という重宝な食物が
その栽培技術とともに移入され、
弥生時代に移行していくのですが、
このイネという作物も、冷害・洪水などの異常気象や
病害虫による被害を受けやすく、
とくに栽培技術が未熟であった時代には
それだけで生活を支えられるほど安定したものではなかったのです。
そのため、弥生時代以降も、
「栽培」と「採集」という二つの手段が並存し、
時代を経るとともに前者への比重を高めながら推移してきたのが
わが先人たちの食糧確保の歴史であったといえるでしょう。
ちなみに、野菜の栽培化が普及するのは
室町時代以降のことですから、少なくともそれまでは、
日常野菜としての青菜などは
身近な食用野菜を「採集」していたことになります。
というよりも、雪国の農村では、山菜やキノコなどの自然の倖を
「採集」して生活を支える暮らしがつい近年まで続いており、
全国的に見れば、「採集」という手段がほぼ消滅したのは
高度成長期以降のホンの40年ばかり前のことでしかなかったのです。
ということは、この「採集」という食糧生産手法は、
単に原初的な食糧入手法というだけでなく、
縄文時代からつい40年前の時代まで先人たちによって
連綿と継承されてきた
貴重な生活文化遺産であったということにほかなりません。
ところが、われわれは、たかだか40年前に享受した
ササヤカな「豊かさ」に浮かれ、
先人たちが多大な犠牲のうえに築き上げてきた
人類初源の生活文化遺産を平気で途絶させようとしているのです。
正直に言えば、いま仙人が挑戦している
「1万円生活」などというものも、
そうした豊かさの上にあぐらをかいた
「お遊びゲーム」のようなものですが、
こうした遊びの機会を通してでも「採集」という生活文化の一端を
伝え残していきたいと仙人は考えておるのですナ。
|