蓬莱仙人・大海淳さんの
身体にいい話

第44回 (旧暦2月14日)
蓬莱仙人の由来

早いもので、この連載もあっという間に
40回を超えてしまいました。
毎日オツキアイいただいている諸兄諸姉には、
ゴクロウサンといいますか、
とりあえず厚く御礼申し上げておきましょう。

ところで、タイトルに使っている「蓬莱仙人」の
「蓬莱」というのがどういう意味なのか、
シカとご承知でない人もあるかと思いますので、
ここらで一度それについて説明しておかなければなりますまい。

蓬莱というのは蓬莱山(ほうらいさん)のことですが、
その蓬莱山というのは、
中国の戦国時代(紀元前5〜前3世紀)に説かれた
神仙境のひとつなんでありますナ。
モロモロある説を交通整理してみますと、
海上はるかな沖合いに(どうやら渤海湾中らしいのですが)
蓬莱山、方丈山(ほうじょうざん)、瀛洲山(えいしゅうざん)
という三つの山(島)があり、
これをまとめて三神山というのですが、
この三神山は仙人たちが住む不老不死の楽土と信じられ、
燕や斉の王たちは部下をアチコチの海上に遣わして、
その神仙楽土を血マナコになって探させたといわれます。

また、秦の始皇帝が遣わした方士の徐福(じょふく)が
紀伊の浜(和歌山県)に漂着したという話も、
やはり、この神仙楽土の探索が目的であったとされています。
やがて、漢の武帝に李少君(りしょうくん)が
蓬莱山について上疏(じょうそ)したことがきっかけで
渤海湾沿岸に蓬莱城が築かれたり、
唐の時代に蓬莱県が設置されたりし、
李白や杜甫たちの詩人も蓬莱山について
謳い上げたことなどもあって、
いつの間にか蓬莱山が三神山の象徴と
されるようになったのでした。

したがって、この新米仙人めが
栄えある「蓬莱仙人」を名乗ることは
マコトニモッテおこがましいかぎりなのですが、
名付け親の邱永漢さんが「これでヨロシイ」ということなので、
ハズカシナガラ仙人めは「ホーライ」でなく
「オーライ」と答えたのでありますよ、ハイ。


徐福に蓬莱境を探させた秦の始皇帝


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