元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2085回
生命平等主義(バイオ・セントリズム)って何?

ガンが拙著「大逆事件異聞=
大正霊戦記=沖野岩三郎伝
」の執筆動機をうながし、
この本の内容を近代心性史の中に位置づけることが出来たという
という、執筆秘話の話の続きです。

主人公の作家・沖野岩三郎は
100年前の大逆事件以降の日本の歴史を、
日本人の魂の「宿命」と「自由」の相克と捉え、
その運命的軌跡を後世に伝えることが、
自らを「魂の秘密伝道師」「いのちの宿命作家」の役割
と自覚しつつ、200冊近い小説、随筆、評伝、童話を
書き残して80歳の生涯を閉じました。
まさに、近代日本の民衆の精神のあり方を問う
「心性史」の中に位置する人でした。
そして、次のような自作の処世訓を残しています。

待て、しかし心ゆるすな。 
来るべきものは必ず来る。
来ないものはいかに待っても来ない。
この来ると来ないとの区別を
明確に知りえないのが人間の弱さだ
だから待て、
しかし心ゆるすな。  沖野岩三郎
                
大逆事件については、教科書はもちろん、
新聞やテレビでは詳細に報道されることが少ないものですから、
なんとなく
「100年前にとんでもないテロ事件」があったんだなあ・・・
というぐらいにしか思っていない若い世代も多いと思います。
事件の深奥は、いわば「一国独裁主義」と
コスモポリタニズム(自由世界主義)の激突といった
近代社会思想史のエポックを画する性格を持っており、
とくに宗教作家である沖野が小説、随想、論文から童話の中で
「アナーキズムよりトルストイイズム」
「社会改革のまえに心魂改革の必要性」を訴えた
スピリチャルで
生命平等主義(バイオ・セントリズム)的な視点は、
100年を経た21世紀にも身近な問題として
よりビビッドに継続されていると思います。

いま多くのマスメディアも識者、学者も
グローバリズムの奔流に圧倒され、
日本の近代史の底流に連綿と流れている
生命平等主義の歴史の系譜など無視し、
ますます浅薄洋才風の表現しか出来なくなってきました。
唯物史観、唯心史論、また、その調和の上に立つ
生命主議論など「古臭い」「メシの種」にならんと
いわんばかりに論理的思考を排除して、
いわば見せ掛けの「唯物体感」と「唯心体感」で
読者をメスメリズム(催眠術主義)に誘っている――
こういっても過言ではない時代だと、僕は思っています。

社会主義と資本主義の冷戦対立構造が終わったとはいえ、
いま新たに世界環境つまり
地球生命エコロジーという課題の中で、
国のかたち、人間の在り方が問われ、
「ソーシャル・エコロジー」もしくは
「エコ・アナーキズム」対
「デイープ・エコロジー」といった対立視点が、
ますます明確に問われることになるだろうと、
ひそかに予感しつつ、僕はこの評伝を書かせてもらいました。
この視点については、僕自身、さらに
次の作品の主題として準備をしていますが、
「排除」「差別」「格差」の危険性が指摘され、
「人権」や「いのちの尊重」の必要性が叫ばれるいまこそ、
見過ごしてはいけない
日本と日本人の魂の葛藤の歩み=「心性史」が、
100年前の事件の裏に浮き彫りに出来るわけで、
ぜひ「いのちの近代史劇の縦断面」として、
本書も若い人にも読んでもらいたいと思っているわけです。

沖野岩三郎の望郷の想いを刻んだ歌碑は、
生まれ故郷の和歌山県日高川町寒川にある。

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2008年5月12日(月)

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