第2082回
若い世代も読んでくれた「大正霊戦記」
ゴールデンウイークに、拙著「大逆事件異聞=
大正霊戦記=沖野岩三郎伝」を
読んでいただいた読者から
メールや手紙が来まして、
「100年前の大逆事件の本というので、
難しい内容だと覚悟して買ったのですが、
とても読みやすくて、
私が知らない歴史の数々がわかって
楽しく近代精神史の勉強をさせていただきました」と
20代の女性から手紙をいただいたり、
おかげさまで、とても嬉しい思いをしました。
この評伝の主人公である沖野岩三郎といった
稀有な作家のみならず、
表向きの歴史の世界からは排除された、
日本人らしい日本人の知性の系譜に連なる人たちは、
たくさんいたわけですから、これを契機に、
とくに日本の歴史に興味を抱く若い世代は、
武将や軍人による武張った
近代戦争史、政治経済史だけでなく、
より民衆に近い「日本人らしい知性の系譜」を
読んでほしいと思っております。
また、これから、より新しく、
より今日的な生命主義に基づいた研究をされるであろう、
20代、30代の皆さんにも参考になるように、
本書巻末には、40ページほどの
「参考文献」と「年譜」も
出来る限り詳細に併載しました。
では、この空前の処刑事件を通じて、
僕は何を書きたかったか?
ということについて、
もう少し書かせてもらおうと思います。
執筆動機は二つありました。
●一つは、沖野岩三郎という人物が
軍閥政府による言論封殺の弾圧にもめげず、
たった一人、暗黒裁判の冤罪性を告発し続けた
稀有な作家であったという「事実」であり、
●もう一つは、非戦、自由、平等の日本の民主主義が
突然、太平洋戦争の敗戦によってもたらされたとする
近代史観への「疑問」・・・です。
たしかに、明治、大正、昭和、平成にわたる
近代史の前半は
反民主主義的国家形成の時代だったわけで、
文学史においても自由主義文学や
プロレタリア文学は育たず、
突然、民主主義や非武装・平和憲法が
アメリカから押し付けられたと
教え込まれてきましたが、
果たしてそうだったのでしょうか?
ここが僕の近代歴史観に対する
絶えざる疑問でありました。
というわけで、今回、沖野岩三郎という作家の
隠された軌跡を発掘することによって、
「日本人の精神性はそれほど低劣ではなかった」
「この近代100年の底流には、
非戦、自由、平等を貫き通していた日本の識者、
いや日本人はたくさんいたのだ」
という「日本近代の心性史」の
一縦断面を書き込こもうと思ったわけです。
|