第2081回
弾圧下、「魂の自由国」を提唱し続けた男
100年前の大逆事件とは、
今の時代からみれば想像を絶する
暗黒裁判であり、凄惨な処刑事件だった――、
やがて軍備拡張、忠君愛国のお題目のもと、
いまでは信じられないほど一般庶民の「自由」も
「平等」もないがしろにされていく――、
もう少しだけ、拙著「大逆事件異聞=
大正霊戦記=沖野岩三郎伝」から、
前代未聞の大逆事件・暗黒裁判がなぜ起こったか?
その前後の時代背景について綴った部分を抜粋紹介します。
*
元老の山縣有朋は悠然と構えてはいられなかった。
弱腰の首相・西園寺公望から
子飼い軍閥の桂太郎に政権の首をすげ替えて、
次々と国賊狩りに狂奔した。
天皇の統帥権の下、軍権国家をより磐石なものに
せねばならぬと周到に事を図ったといったらよい。
明治44年、50年来の懸案であった「条約改正」
「関税自主権回復」にこぎつけるや、
今度は自分たちが苦しんだ不平等条約を
中国や朝鮮に押し付けていく。
内政弾圧のみならず韓国併合を強行し、
批判する社会主義者を非国民呼ばわりする・・・、
山縣らにとって、幸徳秋水らは眼の上のタンコブだった。
山縣有朋は大逆事件の公判に際して一首を詠み、
「痛嘆の思い」(岡義武・著「山県有朋」)を託している。
天地(あめつち)を くつがへさんと はかる人
世にいづるまで 我ながらへん
山縣有朋の庭園趣味は有名である。
東京の椿山荘、京都の無隣庵、
小田原の古稀庵などに庭石を配置する時は
「同型のハリボテを紙で作らせ」て、慎重に決めた
(阿部眞太郎著 「近代政治家評伝」)といわれるが、
社会主義者や無政府主義者などは
「国家の造園美」を毀す醜石として
叩き潰したい衝動に駆られたのかも知れない。
幸徳秋水らの発行する「週刊平民新聞」などの
新聞雑誌は改装創刊される度に
もぐら叩きのように発禁とされ、
罰金を科せられ、口を封じられ、
筆を折られたが、その間隙を縫うようにして
社会主義嫌いの山縣の心肝を冷やすかのように、
火薬爆弾ならぬ「紙の爆弾」ともいえる
激烈なる怪文書が内外からばら撒かれた。
「目には目を、歯には歯を」
「怨念には怨念を、念術には念術を」――
いわば、国ぐるみのメスメリズム=心魂催眠戦争である。
天皇は現人神なり、神聖にして犯すべからず
とする軍閥強権政府に口を封じられた
アナーキストたちは奇策を弄した。
催眠術には催眠術で抗する以外ない。
怨念を込めた紙爆弾を投げつけたのは、
箱根に在住する内山愚堂――、
幸徳秋水と思想を同じくし、
大石とも親しい曹洞宗・林泉寺の住職である。(以下略)
*
本書の主人公・沖野岩三郎は、こうした時代の弾圧の中で、
ただ一人、「魂の自由国」建設を提唱し続けてきた、
稀有のクリスチャン作家だったわけです。
この「100年前の日本」を無視して、今盛んに話題になっている
「国家の品格」も「日本人の品性」も語れませんから、
もし関心があれば、拙著「大逆事件異聞=
大正霊戦記=沖野岩三郎伝」を
じっくりと読んでみてください。
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