元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2080回
「大逆事件」、そして「国家の品格」とは?

100年前の大逆事件とは、
今の時代からみれば想像を絶する
暗黒裁判であり、凄惨な処刑事件だった――、
この事件を無視して、今盛んに話題になっている
「国家の品格」も「日本人の品性」も語れませんから、
関心があれば、拙著「大逆事件異聞=
大正霊戦記=沖野岩三郎伝
」を
じっくりと読んでみてください。
以下、この本のさわりの部分を抜粋紹介します。

           *

当時、東京監獄の獄内の報道は
緘口令がしかれていたが、
欧米諸国から見たら、
中世や近世に横行した
ギロチン斬首の惨い光景を想像させ、
いくら日清日露の戦争に連戦連勝してなりふりは
欧風をモノマネしたとはいえ、
脳味噌の中身はハラキリの散切り頭の
域から抜け出せない野蛮な国と映ったに違いない。
米国共産党の岩佐作太郎らは
サンフランシスコで「幸徳記念演説会」を開き、
作家ジャック・ロンドンも在米日本大使に抗議文を送る。
イギリス議会でも幸徳秋水事件が議題となり、
裁判手続、思想の自由などにおける
野蛮さを独立労働党が質問した・・・。

なぜ、片田舎の医師や僧侶や
市井の商売人たちが、
いわれなき極刑の不運に
さらされなければならなかったか? 

明治40年(1907年)から
明治44年(1911年)とは
不満分子排除、危険分子抹殺の病的な時代であった。
おまけに軍閥強権政府の台所は火の車であった。

日露戦争後の戦勝に酔うどころではない。
年間の国家予算に相当する軍事費の借金は
大半が欧米からの外債に頼っていた。
「日露戦争の戦費は、一八億六千万円に達した。
その八割以上を、外債七億円などの
公債と借入金で賄ったのに、
償金は全く入らなかった。(略)
外債の利子を六、七千万円も払わなければならないのだから、
日本銀行の庫の中は減る一方であった」
(多田井喜生著 「大陸に渡った円の興亡」) 

正貨準備不足を補うための
韓国や満州への経済進出は加速する。
この巨額外債発行と満州経営進出は
米国や英国の顔色伺うご機嫌外交を余儀なくされていた。
さらに国内では財政逼迫による
増税不満や労働争議を多発させた。
内憂外患の危機、いや帝国存亡の危機である。

          *

これが、100年前の大逆事件の背景です。
よく大正時代といいますと、
明治と昭和の軍国主義の狭間に咲いた、
自由でちょっと頽廃的な文化の生まれた時代といわれ、
盛んにアールヌーボーやアールデコ調の、
ファッションや町並みが紹介されます。
しかし、これは世相の上っ面の話で、
底辺では政情騒然、経済逼迫、民意混乱の
真っ只中で、不穏思想分子掃討の
暗黒裁判が起こっていたことになります。
やがて、軍備拡張、忠君愛国のお題目のもと、
いまでは信じられないほど一般庶民の「自由」も
「平等」もないがしろにされていくわけです。


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2008年5月7日(水)

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