第2079回
100年前の日本の「真実」を知っていますか?
100年前の大逆事件とは、
たしかに、今の時代からみれば想像を絶する
暗黒裁判であり、凄惨な処刑事件だった――、
以下、拙著「大逆事件異聞=大正霊戦記=沖野岩三郎伝」から、
さらに、さわりの部分を抜粋紹介します。
*
明治44年(1911年)1月24日、
衝撃の判決から1週間後である。
獄の外は思いがけない大雪だった。
幸徳秋水(伝次郎)らの絞首刑は、
摂氏3度という早朝の厳冬下であわただしく始まった。
幸徳伝次郎(午前8時6分)
新美卯一郎(午前8時55分)
奥宮健之(午前9時42分)
成石平四郎(午前10時34分)
内山愚童(午前11時32分)
宮下太吉(午後1時16分)
森近運平(午後1時45分)
大石誠之助(午後2時23分)
新村忠雄(午後2時50分)
松尾卯一太(午後3時28分)
古河力作(午後3時58分)の11名が右の順で同日に刑執行。
翌25日――、
菅野スガ(午前8時28分)が執行される。
ただでさえ、1月の東京の寒さは
体に刺さるように痛い。
火の気のない独房の内部は吐息さえも凍りつくほどだった。
午前7時、手錠と縄付きの姿で現れた幸徳秋水が
やがて絞首台に歩を運ぶ。午前8時6分、絶命。
直前に教誨師の差し出す筆をとって書いた
辞世の歌は毅然たるものだった。
爆弾の飛ぶ 世と見てし 初夢は
千代田の松の 雪折れの音
一人30分〜50分間隔、
昼食をはさんでわずか8時間、
これほどあわただしく11人の首を絞め殺すとは・・・、
尋常な沙汰ではない。
ダダーン、ダダーンと落下する大音響と共に
首にかけられた麻縄が喰い入り頸骨が砕ける。
想像するだけでも身震いする・・・。
無意識の中で何かを掴もうと手があえぐ、
脚は大地をもとめて伸縮する。
やがて体がだらりとぶら下がる。
痙攣と共に悶絶死する。
獄吏が遺体の首から麻縄をはずし、
鼻水を垂らした顔を拭う。
精神によって保たれていた表情の気品など
ことごとく失われている――。
これは悪夢か。ここは地獄か。
絞首台の足元の羽目板をはずす獄吏や
遺体を監察する医者、
もっともらしい説教をして
あの世への引導を渡した教戒師にしたら、
その阿鼻叫喚の様は耐え難い修羅場に違いなかった。
明治44年1月26日付けの東京朝日新聞も
「逆徒 遂に絞首台の露と消ゆ――、
早朝七時半より八時間懸りで執行終了」と
処刑の異常振りを大見出しで報じ、
処刑の様子ばかりか、幸徳秋水や菅野スガの悟ったような心境、
さらに大石誠之助の「今度の事件は嘘から出た真である」という
淡々とした最後の言葉も掲載した。
*
また、明日、続きを読むか・・・、
拙著「大逆事件異聞=大正霊戦記=沖野岩三郎伝」を
手にとってみてください。
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