元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2055回
「ガン延命」――桜とともに10年目

桜の季節になると、
あのガン病棟で悶々としていた
10年前の日々を思い出します。
内視鏡写真で見た6センチに膨れ上がった
食道の腫瘍のあまりの醜さに、
僕と、入院中、僕を励ましてくれた
絶倫くんと獏さんとは、
これを「人面ガン」と呼称して、
なんとか、この“怪物”を「切らずに消滅させよう」、
「早めにこの病院を脱走しよう」と
無謀な作戦をガン病棟の片隅で練っていたわけです。

ところが、運は味方したようでした。
僕は、放射線と抗ガン剤による
大学病院での治療ほかに、
「天仙液」と「SOD」という
健康補助食品を服用していたのですが、
入院2ヵ月後に、幸運にも腫瘍が消滅
(病院では寛解というのですが)してしまったのです。
そのグッドニュースに、3人は病室の中で
小踊りして喝采を叫んだことを思い出します。
しかし、それからが大変でした。
「いやいや、それでもガンは深く浸潤していますから、
切りましょう」
と主治医はメスを振りかざすようにして迫ってきたからです。

そのときの模様は、ここで改めて書くより、
10年前に同時進行ドラマとして病棟で書き下ろした
単行本「母はボケ、俺はガン―二世代倒病顛末記」 
という、ちょっと深刻でもあり、痛快でもある
ガン闘病記がありますので、
おそらく、いまの読者の方は読んだ人が少ないでしょうから、
参考のために抜粋紹介しましょう。

1999年4月14日の日付に
「患者拉致計画の“主犯”
絶倫くん、さらに食い下がる」という章があり、
僕のことを「大師」と呼んで、
生きる勇気をもたらそうと懸命な、
絶倫くんこと、親友の作家・河村季里さんからの
痛快なメールが載っています。
        
「大丈夫。大師は、人面癌に勝ちます。
もう四月の声を聞きます。
先日千鳥ヶ淵を通りかかりましたら、
桜が咲き乱れていました。
春はいよいよたけなわです。
春の息吹に歩調を合わせ、
軽やかに娑婆への階段を降りることにしましょう」

そして、4月20日の日付けの章には
「人面癌が消えた!
奇跡の始まりか、終わりなのか」という、
希望と不安の錯綜したタイトルが踊っています。
この日が運命の別れとなる
大変な日となりました。

放射線と抗ガン剤で腫瘍を小さくして、
なんとしても40センチの食道を全摘出しようと
画策している黒ぶちめがねの主治医と
対決しなければならなかったからです。
この2ヶ月の病院でのケアには感謝しつつも、
きっぱりと「むごい手術はやりたくない」と宣言しなければ
ならなかったからです。
長期の入院をした患者さんなら分かると思いますが、
入院とは監獄にも似たところがありますから、
なかなか「反旗」を翻すことは勇気のいることなのです。
まさに、ここが、僕がこうして
「延命」できるかできないかの分かれ道となったわけですから、
10年前の桜の季節は忘れるわけにはいかないのです。


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2008年4月12日(土)

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