第1954回
新春対談「偽食から正食へ」(2)
昨年、2007年の世相を象徴する「漢字」一字が「偽」と決まった。
不二屋から赤福、船場吉兆などの賞味期限表示違反、
地鶏などの原産地表示違反、さらに中国輸入加工食品の
違法農薬の使用違反などなど食べ物に関する表示の「偽装」が横行。
第1位が「偽」、第2位が「食」というから、
2007年は、まさに「偽食」の年だった――、
これではいけないというわけで、
「美食」「飽食」そして「偽食」から、
わがいのちを守るため、
ことし年頭に「偽食から正食へ!」とメッセージを送るべく、
僕が敬愛している食養生法の大先輩、
岡田定三さんと、岡田さんが主宰する
「むすび」という月刊誌※1で新春対談をした――、
岡田さんはマクロビオティック玄米菜食法の権威であり、
大阪を基点として、玄米菜食、自然食の普及に努め、
いわば西日本のマクロビオティックの総本山ともいうべき
「正食協会」の会長をされておられますから、
「偽食から正食へ」の新春対談のお相手としては
これ以上の人はない――という話の続きです。
マクロビオティック食養生法とは、
1世紀ほどまえに桜沢如一が確立したものですが、
最近は飽食美食の弊害に気づいた若い女性の間でも
ダイエット法として人気を集め出したわけですが、
岡田さんとの新春対談は
「特集:LOVE&身土不二」の中に収録された、
以下のようなものです。
*
岡田 命ある限り、大恩人である桜沢先生の残されたものを
できるだけ後世の人につないでいきたい
という思いだけでここまできましたが、
この頃になって、ようやく手ごたえが感じられるように
なってきたかなと思います。
関根 ガンになるまでは、
マクロビオティックの世界というのは全く知らなかったのですが、
病気がきっかけで
自然な生き方といったことを
見直していくようになれたのは幸せでした。
病気の人がとても増えてきて、
西洋医学のマニュアルだけではだめだと、
みんなだんだんわかってきました。
そうすると答えは何かというと、
やっぱり日本人が昔からやってきたことに
もどっていくというのが、
今の時代の趨勢になってきた気がします。
僕は、本当は手術しないといけなかったのでしょうが、
家内が料理をつくってくれて、9年間、
手術しないで生き延びたわけですから、
食の中にすごい命のパワーがあって、
やっぱり悪いものを食べると
不健康の方に引っ張られるということを体感しました。
岡田 私は、玄米は10歳頃から食べさせられていて、
自分から進んで
マクロビオティックを始めたのが高校2年の時からでした。
当時20〜30人いたMI生と一緒に生活しながら、
玄米を炊いて自炊していました。
(注・MI=Maison Ignoramus第二次大戦後、
桜沢が作った青年教育の家)
桜沢先生のレクチャーを受け、
MI生たちが思想哲学の話をするのですが、
高校生だった私にはよくわかりませんでした。
それで毎日、レポート出せと言われて、大変でした。
ただ、それでも桜沢先生やマクロビオティックに魅力を感じて、
講座をよく聴きに行っていました。
大学を卒業してサラリーマンをしていましたが、
マクロの考え方が入ってしまっていて、
あまり仕事がうまくいかないので、
先生が亡くなった日に、サラリーマン生活をやめて、
もう一度、マクロの道に進もうと決心しました。
それが30歳の時で、
33歳でムソー(注・自然食品店)※2を創業しました。
調味料や醤油などの販売を始め、
そのうち桜沢先生がヨーロッパとアメリカに拠点をつくられると、
外国からたくさん注文が来るようになりました。
そのおかげでなんとか軌道に乗りました。
日本で自然食のレールを敷くのにずいぶん時間がかかりましたが、
今では正食協会の指導で全国のロイヤルホテルで
マクロビオティック料理を提供するまでに広がりました。
*
続きは、また明日。
※1 http://www.macrobiotic.gr.jp/musubi/top/index.html
※2 http://www.muso.co.jp/index.html
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