元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1851回
「いのちの手帖」の闘病記(3)

いま発売中の「いのちの手帖」第4号の
ガン闘病記エッセイ特集=
「一歩また一歩 ガンと共に歩む」の話の続きです。

・運命を変えた白血病(4)
骨髄移植後1年が無事に過ぎました  花井陽光
・わが娘の未分化癌との闘いと
終末医療に思う  松尾達也
・「原発性不明癌」と診断されて・・・
私に勇気と希望をもたらした穀物菜食  若山朝子
・多摩のよこ山に魅せられて楽歩、遊歩にいそしむ日々  黒川宣之

「わが娘の未分化癌との闘いと
終末医療に思う」と題する松尾達也さんのエッセイについて
今回は紹介しましょう。
松尾さんは、残念にも、次女のお嬢さんを
「未分化癌」というとても治療の難しいガンで亡くされました。
その哀しみも癒えぬ1年前に、
「未分化癌の遺伝子」(文芸社)
という本を出しまして、
突然、僕のところにも送ってくれたわけです。
松尾さんの履歴は、九州大学医療短期大学部卒。
九州大学医学部細菌学教室勤務後、日本電子(株)入社。
パリ、ロンドンなどに駐在し、
帰国後、「電子顕微鏡の研究開発」
で毎日工業技術賞を受賞というもので、
現在は日本電子テクニクス渇長をされているだけあって、
発病から治療、再発、また治療、そして緩和ケアに至るまで、
実に詳細なデータを記録して本をまとめていましたので、
ぜひ、お嬢さんの闘病記をお願いしたわけです。
冒頭の部分を紹介します。

        *

わが娘の未分化癌との闘いと
終末医療に思う              松尾達也

2004年八月中旬、「夏風邪かな」といって
娘・在子(ありこ)は近くの内科医院に通ったが、
鼻に違和感も覚えたので耳鼻咽喉科病院を訪れた。
女医は副鼻腔炎だと診断し通院していたが、
左頬部の痛みが強くなり、
近くの日野市立総合病院が紹介された。

10月4日の初診日、CT検査をしたが同様に副鼻腔炎と診断され、
2週間後に手術することが決まった。
左頬部の痛みは日増しに強くなっていた。
手術の前日夕方に入院し、
主治医より手術についての説明を受けたが、夜、事態は急変した。
念のためCT撮影した像は2週間前のものと著しく違っていた。
腫瘍と思われる組織が広がり、眼窩の骨に浸潤していた。

2週間の観察経過で見落としがあったことを主治医は謝られたが、
なす術はなかった。手術は組織摘出に切り替えられ
「1週間後に病理検査の結果は判明するが、
もし悪性であれば当医院では対応できぬので転院が必要です」
といわれたとき、頭の中は真っ白になった。

伝を頼りに癌研究会病院で診察を予約できた。
頭頚科の診察の結果、「早急に免疫染色をし、
治療の最終判断にしたい」と言われ、
未染色のプレパラートを3日後に持参した。
一週間後の検査結果は「副鼻腔未分化癌」と診断され、
ステージは4Aであった。

「未分化癌は非常に稀で、20万人に1人の割合で発症し、
治療法、研究の実績も乏しく、発育成長が非常に早く、
病状も早いスピードで進んでいるので、
見切り発車で化学療法を先ず行いましょう」と説明があり、
即入院し、五種類の抗癌剤の組み合わせでスタートした。

          *

1年有余にわたって次女・在子さんを看続けた父親の
愛情のこもった闘病記です。必読です。


←前回記事へ

2007年9月21日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ