第1814回
近代日本の医療と「迷信」「催眠」
沖野岩三郎・著「迷信の話」という、
日本古来の伝承習俗から、
近代日本の迷信まで、その医学の裏側で横行する
神秘ブームの弊害について論考した
250ページの面白い本があります。
いまから60数年前の終戦直後に書かれたものです。
科学の進歩を遂げても、なぜ神秘治療や新興宗教が廃れないか?
という「迷信状況」「催眠状況」を分かりやすく説いたものです。
50年、100年前まで、催眠術を基にした千里眼や念寫、
物品引き寄せ、お筆先きといった
マジックまがいの「迷信」が、
ときの政府の要人や軍の幹部にまで
まことしやかに信仰されたこと、
またこの精神的進化を科学的に立証できれば
「ノーベル賞」ものだとばかりに、
多くの大学教授が乗り出し、新聞も大騒ぎしたこと・・・
などについて分析。
いわば、近代日本を「神がかりの催眠状態」に陥れた
「迷信体質」の危険性に警鐘を鳴らしたものです。
「迷信の話」の内容を全部紹介するわけには行きませんが、
「結論」の章に、迷信療法、神秘療法ばかりでなく、
科学を標榜する西洋医学妄信への警告も、
今聞いてもなかなか興味深いので紹介しましょう。
科学立証主義を標榜する社会にこそ、
いかがわしいとされる「神秘ブーム」や「催眠療法」が
容認される危険性が潜んでいるわけですが、
いまはより巧妙に、神秘療法、詐欺商法が跋扈していますから、
読んでみるとなかなか面白いものだと思います。
*
「昭和十四年二月十五日の東京日日新聞に、東洋大学教授の
関寛之氏が、帝国学士院総会で発表した
論文の大要が慶されてあった。
その報告によると、日本には約一万二千の迷信があって、
ますますふえる傾向だと書いてあった。
それから十年を経過した終戦後の今日、
わが日本国民はこの日本を民主主義とか、
文化国家だとか云っているが、
迷信の数は十年以前より、はるかにふえているにちがいない。
その中でもとうてい常識では考えられない迷信が、
有識者間までくいこんで行っている有様は、
満州問題、太平洋戦争の起る前に、
日本国を背負って立つ人々の間に、
お筆先というものの権威が深く働いていた時に
甚だ多く似たものがある。
これは日本国家にとってまことに憂慮すべき一現象である」
*
と、これは昭和9年に海軍大将から子爵、男爵まで信者にした、
お筆先(おふでさき=神の示しによる自動書記)で、
「病気を治す」どころか、
「世界を世直しする」といった団体の活動をさしているもので
まさに戦争前夜の日本の
催眠・迷信状況を指摘している箇所です。
いまからすると信じがたい社会現象ですが、
自己の優位性を「過度に誇示したくなる」時に、
人間も国も、信じがたい催眠状態となる危険性を
はらむと指摘しているわけです。
なにやら、いまの時代に思い当たることはないでしょうか?
「迷信の話」の最後の部分をもう少し紹介していきましょう。
いかに「過ぎたるは及ばざるが如し」が、
処世にも、社会形成にも
もちろん治療にも大切かが分かります。
*
「もし日本に一人の大宗教家が現れて、
いかなる病気も医薬によらず
その宗教家の体内にある霊光を手の爪の先から放出して、
いかなる難病をも必ず癒すことが出来る、
宗教とは病気を治す以外何ものでもない、
今に全世界の病者を悉く健康にしてみせる、
自分はたしかに世界の救世主である、といって毎日数千の
病人を全快せしめているとしたならば、
それはたしかに驚くべき一大事件であって、
次回のノーベル賞をさしづめこの人に与えねばなるまい」
*
と、「迷信の話」は、一国催眠状態を皮肉っているわけです。
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