第1813回
迷信体質を斬る!
代替療法の長所と短所の話の続きです。
食事療法や気功など代替療法は、
いのちの深奥=心魂のレベルに作用することが長所だから、
あまり、エビデンス(立証性)にこだわりすぎるのはよくない――、
自分の直感を大切にして自分の生命場が高まると感じたら
採用したらよい――
しかし、ガンのような生死に関わるときには、迷信まがいの
神秘療法、催眠療法は考えものだ――という話の続きです。
まえに「いのちに関わる“ちょっと渋い話”」ということを
このコラムで書きまして、
100年前に、
フランスの哲学者・ベルクソンの「創造的進化」論が
今以上に持て囃されたと言う話を書きました。
これは、ダーウィンの「物質レベルの進化論」に対する
いわば「精神レベルの進化論」を説いた科学的な哲学ですが、
僕なども、
こと「いのち学」の原理としてはとても賛同しているものです。
いわゆる、このコラムでもなんども書いていますが、
「心魂にときめき」を感じるとき、生命場のエネルギーが上がる、
生き希望も勇気も湧くるという考え方の原点ともなるからです。
さて、そのときイギリスでベルクソンの生の講演を聞いてきた
内ヶ崎作三郎さんの「近代人の信仰」(警醒社書店)という
600頁の分厚い本を紹介しました。
著者・内ヶ崎さんは、明治・大正・昭和に活躍した
キリスト教に基づく自由主義の思想家で、
最後は太平洋戦争の終戦直後に
衆議院副議長にもなった傑物で僕の祖父の盟友です。
僕の母方の祖父は沖野岩三郎といって、
一時、キリスト教の牧師を辞めて、
大正時代の流行作家になった人ですが、
この内ヶ崎さんなどと
「この世に倫理性の高い”神の国”を具現しよう」とする、
現実的な社会改革運動=ユニテリアン運動を志していました。
ですから、心魂であるとか、神の霊や愛であるとか、
そうしたことも小説にたくさん出てくる、
一般の作家と比べると、ちょっと宗教的な分野をテーマとする、
今風に言えば「渋い作家」でした。
しかし、別に心霊とか、オカルトを扱うのではなく、
むしろ、反対に、巷に行きかう俗信や迷信的な習俗の弊害を説き、
倫理的にも生命的にもより高い心魂レベルに
自らを引き上げるべしとする「科学的宗教家」でもありますから、
多くの文芸評論家からは「説教臭の強い」作家とされてきました。
沖野岩三郎の作品には、
明治末期の大逆事件に連座して絞首刑になった
盟友の医師・大石誠之助を題材にした長編小説「宿命」をはじめ、
日本歴史研究、宗教研究の論考、さらに欧州紀行といったエッセイ
童話など数多くの作品を残しています。
その中に「迷信の話」という、日本古来の伝承習俗から、
近代日本の迷信まで、その神秘ブームの弊害について論考した
250ページの面白い本があります。
科学の進歩を遂げても、
なぜ神秘治療や新興宗教が廃れないか?という
近代日本の「迷信体質」
「催眠状況」を分かりやすく説いたものです。
数十年前まで、催眠術を基にした千里眼や念寫、物品引き寄せ、
お筆先といった、マジックまがいの「迷信」が、
ときの政府の要人や軍の幹部にまで
まことしやかに信仰されたこと、
またこの精神的進化を科学的に立証できれば
「ノーベル賞」ものだとばかりに、
多くの大学教授が乗り出し、新聞も大騒ぎしたこと・・・
などについて分析。
いわば、近代日本を「神がかりの催眠状態」に陥れた
「迷信体質」の危険性に警鐘を鳴らしたものです。
科学立証主義を標榜する社会にこそ、
いかがわしいとされる「神秘ブーム」や「催眠療法」が
容認される危険性が潜んでいるわけですが、
いまはより巧妙に、神秘療法、詐欺商法が跋扈していますから、
この本、古書店で探して読んでみると
なかなか面白いものだと思います。
「迷信の話」の内容を全部紹介するわけには行きませんが、
「結論」の章に、迷信療法、神秘療法ばかりでなく、
科学を標榜する西洋医学妄信への警告も、
今聞いてもなかなか興味深いので、明日から紹介します。
ぜひ読んでみてください。
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