元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1812回
代替療法の長所と短所

どうも、いまのガンをめぐる治療や養生の本や記事を読んでいると
「西洋医学VS代替療法」、「エビデンスVSまやかし」といった
偏狭と瑣末が相打つ、
なんとも低レベルの論議のように思えてなりません。
いったい患者はどんな治療法を信じたらよいのか?
ガンの再発患者はどうしたらよいのか? 
迷ってしまうと思います。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺が
病気の予防・治療だけでなく、学問や報道にも通用すると、
僕は思っています。
たとえば、医師が、いくら手術がいいとっても、
臓器を2キロも3キロも切り取ったら全体のいのちも持ちません。
いくら抗がん剤がいいからといって、
大量に強い最新薬を投入すれば、
ガン細胞ばかりか、正常細胞まで壊滅してしまいます。

また、患者の方も、西洋医学の限界を補うからといって、
漢方薬の飲みすぎたり、食事療法のやりすぎたり、
これも考え物です。
僕は、養生は「いい加減」はなく、
「よい加減」でいこうと思っていますが
やはり、自分のからだの好調不調は医師や治療師ではなく、
患者自身がいちばんよく分かっているわけですから、
「やり過ぎはいけない」「懲りすぎはいけない」・・・
これが原則です。
決して、極端な医療本や記事に惑わされてはなりません。

僕の敬愛する主治医の帯津医師は、
そのあたりの身・魂・心のバランスの図り方、
人間丸ごとを全体的に見ていく「いのち学」の名医です。
いろいろ巷に溢れている代替療法や民間療法についても
以下のようにいっておられます。

「『代替療法に、
あまりにエビデンス(注・立証性)を求めすぎると、
代替療法の良さが失われてしまうのではないか』ともいいます。
代替療法の多くはからだではなく、
こころやいのちを対象とするものです。
こころやいのちが、まだ科学的に明らかにされていないのに、
これと対象とする方法にエビデンスが伴うわけがないのです。
エビデンスの求められるところは大いにこれを良しとして、
求められないところは深追いせずに、
その代わりに直感を働かせればいいのです」
これは、病気とただからだを薬で治すだけでなく、
心も魂も含めた自らの生命場エネルギーを高めることで
自らの治癒力で治していくものだとする
帯津医師の持論です。

僕も、身・魂・心の全体に作用する養生法=代替療法に
エビデンス=客観性、
立証性を厳密に求めることは意味がない――、
つまり次元の違う問題だからです。
いくら科学の時代だからといって、
やれ、薬の立証性がどうの、手術のメス裁きがどうの・・・
といったモノのレベル=
「機械」「臓器」のレベルに終わることなく、
もう一段上のいのちのレベル=
「人間」「心魂」の層に関わるものが
本来の代替療法の特性だからです。
こう考えて、自分に合った治療の組み合わせを
医師と協力して、直感を働かせて設計していけば、
自ずから納得いく、
ホリスティックな養生法にたどり着くと、僕は思って、
これまで9年、
温かくて和やかなスローヘルス健康法を続けてきました。

さて、いかがわしい療法の話といえば、
大学病院の偏狭なエビデンス治療法の手立てがなくなると、
大抵の患者が「余命半年」を宣告されてしまうわけです。
迷った患者と家族は、ちょっといかがわしいなと疑っても、
神秘療法やマインドコントロール療法に
引っかかってしまうこともあります。
オーラ占いゲームや気晴らしの処世診断程度に、
趣味で関わっているうちは許されるでしょうが、
いくら心魂の時代だからといっても
こと、己のいのちがかかってくるときは、
こうした神秘療法は要注意です。

これはいまの時代に限ったことはありません。
西洋医学100年の歩みと並行して、迷信に近い、
いわゆる神秘療法が、なんども流行した歴史があるからです。


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2007年8月13日(月)

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