元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1815回
「医者は芋や大根のように切る」

沖野岩三郎・著「迷信の話」という、
日本古来の伝承習俗から迷信まで、
そして、近代医学の裏で横行する
神秘ブームの弊害について論考した
250ページの面白い本があります。
いまから60数年前の終戦直後に書かれたものです。
50年、100年前まで、催眠術を基にした千里眼や念寫、
物品引き寄せ、お筆先きといったマジックまがいの「迷信」が
ときの政府の要人や軍の幹部にまで
まことしやかに信仰されたこと、
またこの精神的進化を科学的に立証できれば
「ノーベル賞」ものだとばかりに、
多くの大学教授が乗り出し、新聞も大騒ぎしたこと
・・・などについて分析。
いわば、近代日本を「神がかりの催眠状態」に陥れた
「迷信体質」の危険性に警鐘を鳴らしたものです。
その内容紹介の続きです。

        *

「日本に一人の聖人が生まれて、
あらゆる病人の病気は自分の一身に引き受ける(略)
とするならばこれは世界の大問題である。
かかる大人物大宗教家大学者が、
わが国にあらわれたと仮定したならば、
世界の学者たちはまづその開祖教祖というべき
人物の精神鑑定をするに違いない。(略)
その問題が決しられない前にこれを信ずることは、
大いなる迷信というべきである。
かくの如く病気治癒を主意とする民間宗教が、
盛んになった理由はどこにあるであろうか。
ここに考えなければならない一つの問題がある。
長く鎖国の中に閉じこもっていた日本が、
にわかに外国と交際を始めた時、
外国のものはすべて新しく見え、よく見えた。
そして日本のものはすべて古く且つ悪く見えた。
中でも医学は西洋医学が在来の漢方医学を圧倒し去り、
日本国中の医者という医者は全部聴診器と検温器で診察し、
その薬品も全部西洋の薬品を用いることになった。
最初のほどは新奇を好む日本人の性質として、
全く西洋医に信頼したが、
長い伝統を持つ漢方医のことを、時々思い出すものがあり、
ひそかにそれに頼ってみてもはかばかしく効果を見ないので、
いつしか漢方にあらず洋法にあらざる、
信仰治療にはしって行く者が多く出てくるのである。(略)

こんな医学の権威を落さしめた原因の一つは、
わが日本の医学教授があまりに唯物主義に偏したことである。
明治維新以来、日本政府は宗教を軽蔑した。
殊に学者たちは振興を軽んじて科学万能を信じた。
科学せよと強調した文部大臣はあったが、
心霊を重んじよと強調した文部大臣は一人もいなかった。
したがって日本の医学教授に信仰厚き人を欠き、
何ら堅固なる信仰を持たない若い学生たちに、
芋や大根を切るように人体を解剖してみせ、
学生たちも科学のメスを振るうことのみ興味を持ち、
薬という科学品を人間という物質に飲ませることが、
医者の能事であって、
そこに親切だの同情だのということは
全然なくともよいという思想になり、
医者は病気を治すのが職務で、
患者をなぐさめたり安心させたりすることは
よけいなことだったのである。

甚だしきは、病気は治し得ないでも、
病院を経営していくことに巧みな者を名医といわれるほどに、
冷たい思想が医者の精神を占領しかけていることを、
全然否定することは出来ない。
医は仁術なり、などという言葉は唐人のねごとで(略)
その医者からはなれて、
親切と同情を持って病気を治そうという人の所に集まっていくのは
自然の通りである」

      *

いや、なんとも50年、
100年前の「迷信ニッポンの話」とは思えませんね。


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2007年8月16日(木)

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