元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1479回
土屋繁裕医師の遺志を受け継いで

ガン患者の代理人、家族の味方を宣言して、
キャンサーフリートピア=ガン専門相談所を主宰してきた、
土屋繁裕医師が急逝されてから1年を迎えます。

多くのガン患者と家族が、この人天才肌で人情味溢れる
若い外科医に救われたか分かりません。
僕たち患者はハンマーで頭を打ち砕かれるような
衝撃を受けましたが、残されたご遺族の悲しみは、
それこそ、計り知れないものがありました。

しかし、いま気丈に悲しみを克服された、
土屋広見さんから、「いのちの手帖」第2号に、
「夫・土屋繁裕の一周忌、パパのすべてを守り続けます」と題する、
珠玉のエッセイが送られてまいりましたので、
その一部を、このコラムの愛読者の方々にもお届けします。

             *

夫・土屋繁裕の1周忌・・・
パパのすべてを守り続けます   土屋広見

あれから1年を迎えます。
2005年9月4日、非通知の着信音、それがはじまりでした。
「土屋先生が倒れられました」・・・
携帯の向こうから存じあげない先生の声が入りました。
丁度、オレオレ詐欺が世の中を騒がせていたころでしたので、
新手の詐欺?そんな事が頭の中をよぎる程、信じがたいものでした。
病名はクモ膜下出血! いまでも記憶に残る、
ICU(集中治療室)のベッドに眠る夫・土屋繁裕の姿。
人工呼吸器・心電図モニター・脳減圧ドレーン・
何台ものホンプが「いのちを維持」するための薬を微量に注入し、
数台のモニター音は規則的にその危篤状態を知らせていました。

看護師でもある私には、それらが何を意味するか、
頭で理解出来ても、まさかパパが倒れるなんて・・・
納得のいくものではありませんでした。
なぜなら、いつものように手を振りながら出掛けていった夫の姿が
あまりにも鮮明で、病院のベッドの上のパパは、
いつもの寝顔としか思えなかったからです。

『がん』と告知されたなら
『焦らず、慌てず、諦めず、頑張り過ぎない。
そして生命は決して諦めてはいけない』と
言い続けてきたにもかかわらず、
土屋のいのちは主治医ですら説明のつかぬまま、
冷淡にあしらわれ、35日間、
ただ自らの病床の寝姿を残すだけ・・・。
私たちに一言も語りかけることもなく、
10月8日の朝、49歳にて永眠してしまったのです。

患者本位の医療とは何でしょうか? 
患者さんと医師との主従関係のない、
確かな人間関係の構築があって初めて成り立ちます。
最期を迎える時、いかに苦痛が少なく納得のいく
プロセスであったかが重要です。
しかし、セカンドオピニオンをする上で
忌み嫌っていた『ドクハラ=ドクターハラスメント』を、
まさか、私共家族が受けてしまうとは・・・。(以下略)

          *

いま、妻の土屋広見さんは、
長兄の土屋病院院長の土屋繁之医師と共に、
ガン相談専門所=キャンサーフリートピアの事業を
受け継いでいます。
代表医師には盟友の外科医・三好立医師が当っております。
土屋繁裕医師の掲げた治療は、
HBM(人間本位治療)という、
患者のQOL(いのちの質)を第一に考えた
統合的な治療設計の相談でした。
広見さんの「いのちの手帖」第2号に寄せられたエッセイには、
土屋繁裕先生が、身を挺して
現状の閉塞した医療を改革しようとした姿が、
イキイキと綴られています。
ぜひ、勇敢なる医師を偲んで読んでいただきたいと思います。


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2006年9月14日(木)

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