元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1204回
「医療制度がベルトコンベア」では困る

まえに「介護をもっと、ホリスティック」という
講演会の話を紹介しましたが、
ガンは退院後、ボケ=認知症は
入院前の予防が大切だという話の続きです

          *

・55歳〜64歳=両親の老い
・65歳〜74歳=夫婦の老い
・75歳〜84歳=自分の老い

と分類しましたが、
なんとか、介護5(不自立)にならないように、
心身をバランスよく鍛えることが、
まさに「介護をホリスティックに」の基本だと思います。

先日、叔母が、やはり認知症で入院。
わが母と同じ道を歩んでいます。
わが母のときは、点滴用の管を引き抜かないように、
よく両手が縛られていましたが、
叔母の場合は、専用の手袋に変わっていて、
なるほど、介護のシステムも改善されてきたものだと
思いましたが、認知症独特の症状と、
毎日、付き添っている子供たちの介護の姿は、
まったく、僕のときと変わりません。

「明日はわが身」という言葉がありますが、
わが老親の場合の失敗を教訓にして、
なんとか「介護5」にならないように
「スローヘルス」を夫婦で実践して、
足腰の立つうちに、旅行もやりたいこともやりつつ、
人生をスローペースに移行していく・・・
こうした「ゆったり養生法=スローヘルスな発想」がとくに
人生後半の50歳から、
ますます大切になってきたと思います。

しかし、どうも、日本の医療行政が、
なんでも病院、なんでも薬、
なんでも検査、なんでも設備・・・と、
合理的なシステムさえ作ればケアだと
勘違いしているところがある。
どうも、欧米借り物のシステム強化に走っているのは、
気に入りません。

日本人らしい、スローヘルスな養生法を
無視しているきらいがあります。
いまの介護制度にしても、
その根底の発想は、
ちっとも「いのちの介護」になっていない。
ホリスティックでも、
アンチエージングでも、スローヘルスでもない。
すべて、機械的で合理的なアトミズムの発想優先だと、
私は思っています。
「壊れた機械の修理ではないか」
「制度がベルトコンベアではないか」・・・と、
65歳の僕は、ますます不安でいっぱいなのです。

とくに、介護の案内書などを読むと、
じつに、ケアサービスの段階的分類が
細かく書かれていますが、
どれもこれも、機械的というか、合理的なものです。
もちろん、ケアリング(世話・心配り)といっても、
個人の領域を犯す危険もありますから、
老齢者や障害者の奥の深い精神性というか、
霊性というか、
スピリットに対応しきれないところもあります。

しかし、ここに、
これからの長寿介護の問題があると思います。
ま、日本人全体の教育発想の問題でもあるのですが・・・。
もっと、人間の心身のつながり、
そして、家族のつながりを基本にした、
いわば、ホリスティック介護学=いのちの介護学の確立が
急がれるべきだと思います。


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2005年12月13日(火)

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