元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1200回
亡き土屋繁裕医師の「49日法要」

「医者が肘掛け椅子にふんぞり返って
 患者が丸椅子に縮こまって診察を受ける・・・
 こんな医療は間違っている」と、
患者不在の医療のあり方を正そうと説いて回っていた、
土屋医師が49歳の若さで、昇天されて49日が過ぎました。

ほんとうに残念無念。
一般の医療界からは、
変わった医師だと見られていたわけですが、
その明るい笑顔で接する土屋医師が、
いかに多くのガン患者と家族に光明をもたらしたか、
その残された影響力は計り知れないと、
僕は、ひとりの患者として、またジャーナリストとして、
「ほんとうに貴重な人材を失った」と思っています。

11月27日、故郷・福島郡山の小原寺で、
親類や親しい友人が大勢集まって
49日法要がしめやかにとり行われたわけですが、
僕は、仕事の都合で、
その後、地元のホテルで開かれた、
午餐会に夫婦で出席させていただきました。

会場中央の聖壇には、
あのパワー溢れる土屋先生の笑顔の写真が飾られ、
「いやー、みなさん、よく、お出でくださいました」と
いまにでも声をかけているようで、
それがまた、参列者の涙を誘っておりました。

僕も、最後の5年間、親しくした者として、
手向けの言葉を送りましたので、
その一部を抜粋し、
みなさんと共にご冥福を祈りたいと思います。

          *

山本周五郎の小説に
『赤ひげ』の人情味溢れる医師が出てきますが、
土屋先生は『茶髪』の似合う、
まさに患者から慕われた現代版の人情派医師でした。

そして、最後の35日間の闘病は、まさに先生にとって
必死のエネルギーで蘇ろうとした壮絶な闘いでして、
ご家族の心の痛み、治療の苦労は計り知れないものでしたが、
僕たちスローヘルス研究会の仲間たちも、
奇跡の生還を信じて、ICUで手を握り、足をさすり、
そして、ときに手紙を書いて先生の「心の耳」に訴えました。
しかし、残念無念。
土屋先生は、あの笑顔とさまざまな教えを残して、
逝かれてしまったわけです。

その2週間前のことなのですが、
先生のご家族、患者の原田さんご一家、
そして、僕たち夫婦は富山の宇奈月温泉で
楽しい夏休みを共に過ごした楽しい思い出がありましたので、
倒れられたと聞いたときは、一瞬、耳を疑いました。

温泉の風呂の中では、将来の病院構想の話を
いつまでもいつまでも楽しそうに
話していた笑顔が忘れられません。
人情派の土屋医師は「寅(とら)さん」の映画の大ファンで、
こんな冗談も飛ばしておりました。
「関根さん、うちの家族は、
 みんな『繁』という字の名前が付くのですが、
 僕、男の子が生まれたら
 『繁寅』にしようと思っているんです。ハハハ」
改めて、土屋繁裕先生、逝って、
その「スケールの大きさと偉業」を知るわけですが、
残された者としては、ささやかにでも
先生の意思を受け継ぎ、
「第2の繁裕医師」ならぬ
「繁寅さん」を捜し求めて行きたいと思います。

          *

このコラムで知り合いになった、
患者さんやご家族の方もおられると思いますので、
改めて、先生のご冥福を祈り、
また、先生から伺った「いのちを守る知恵」を実践されて
スローヘルスに過ごされることをお祈りしています。


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2005年12月9日(金)

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