第68回
文豪ゆかりの宿(2)「四萬館」
<太宰君は人に恥をかかせないように気をくばる人であった。
いつか伊馬君の案内で太宰治と一緒に四万(しま)温泉に行き、
宿の裏で私は熊笹の竹の子がたくさん生えているのを見て、
それを採り集めた。
そのころ私は根曲竹と熊笹の竹の子の区別を知らなかったので、
太宰君に「この竹の子は、津軽で食べている竹の子だね」
と云って採集を手伝ってもらった。
太宰君は大儀そうに手伝ってくれた。>
昭和15(1940)年4月、
作家の井伏鱒二は太宰治ら数名と
四万(しま)温泉に来遊しています。
前出の文章は、後に「太宰治のこと」と題して
雑誌『文学界』に寄せたものです。
このとき泊まった宿が、四萬館(しまかん)でした。
今でも文豪たちが投宿した部屋が、
裏山の中腹に別館として残されています。
京都より移築されたこの建物は、
400年前の安土桃山時代に建てられた建造物です。
井伏鱒二らが宿泊した戦前は、
四萬館の客室(特別室)として
四万川の対岸にありましたが、昭和30年代になって
2階部分だけが現在の場所に移築されました。
柱や梁(はり)、縁側部分は当時のままで、
全国から訪れる文学ファンが、
在りし日の文豪たちの面影に触れています。
太宰治は、来遊の翌年に小説『風の便り』を発表しました。
30代後半の作家が執筆に行き詰まり、
敬愛する大先輩の作家に相談した手紙のやり取りを著したものです。
主人公は、先輩作家に勧められ
旅先の温泉宿で執筆活動を試みます。
この主人公が太宰治自身であり、先輩作家は井伏鱒二、
温泉宿が四萬館ではないかと言われています。
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