第67回
文豪ゆかりの宿(1)「旅館たにがわ」
<水上駅に到着したのは、朝の四時である。
まだ、暗かった。
心配していた雪もたいてい消えて、
駅のもの蔭に薄鼠いろして静かにのこっているだけで、
このぶんならば山上の谷川温泉まで
歩いていけるかも知れないと思ったが、
それでも大事をとって嘉七は
駅前の自動車屋を叩き起こした。>
群馬県みなかみ町にある水上温泉郷の1つ、
谷川温泉へ向かう道の端に、
作家・太宰治の文学碑があります。
谷川温泉を舞台にした小説
『姥捨(うばすて)』の1節が刻まれています。
昭和11(1936)年8月、
太宰治は療養のために約1カ月間、
谷川温泉の川久保旅館に滞在していました。
川久保旅館はその後、
「旅館たにがわ」の前身「谷川本館」となり、
今は取り壊されてありませんが、
跡地である同館の駐車場には
文豪ゆかりの宿であることを記す石碑が立っています。
「太宰治ゆかりの宿として、
毎年命日の『桜桃忌』(6月19日)には、供養を行っています」と、
女将の久保容子さん。
館内のミニギャラリーには、初版本や写真、遺品など
約50点が展示されています。
太宰治は滞在中に、芥川賞の落選を知らされます。
そのことは、宿で執筆した『創生記』の中で
次のように書いています。
<けさ、新聞にて、マラソン優勝と、芥川賞と、
二つの記事、読んで、涙がでました>
さぞかし悲痛な思いで、
谷川温泉の湯に身を沈めたことでしょう。
この滞在経験が、のちに『姥捨(うばすて)』(昭和13年)
を書かせたといわれています。
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