第64回
湖に消えた温泉
群馬県北部、新潟県との県境の三国峠近くにある
猿ヶ京(さるがきょう)温泉。
現在、赤谷(あかや)湖畔に
約40軒の旅館や民宿が点在しています。
なんとも不思議な響きを持つ温泉地名ですが、
こんな由来があります。
上杉謙信は越後から三国峠を越えて関東平野出陣のおり、
「宮野」と呼ばれた猿ヶ京の城に泊まり、夢を見ました。
〜宴席で膳に向かうと、箸が1本しかありません。
ごちそうを食べようとすると、ポロポロと歯が8本抜け落ちました〜
嫌な夢を見たと思い、このことを家臣に告げたところ、
「これは関八州(関東一円)を片はし(片箸)手に入る夢なり」
と答えたので、謙信は大喜びして
「今年は庚申(かのえさる)の年で、今日も庚申の日。
我も申年生まれ、これより関東出陣の前祝いとして、
ゆかりの地である宮野を
今日から『申ヶ今日』と名付ける」と申し渡し、
現在の猿ヶ京が生まれたと伝わります。
しかし、猿ヶ京の名が温泉地として名付けられたのは
戦後になってからのことです。
以前、ここ赤谷川沿いには、
湯島温泉と笹の湯温泉という2つの温泉地がありました。
昭和33(1958)年7月、
赤谷川をせき止めた相俣(あいまた)ダムの完成により、
人造湖の赤谷湖が誕生しました。
これにより2つの温泉地は水没。
4軒あった旅館は高台へ移転し、
新源泉を掘削して新たな温泉地を造りました。
その後、4軒の旅館は「旧四軒」と呼ばれ、
源泉を所有する湯元の老舗旅館として、
今日まで猿ヶ京温泉の発展を担ってきました。
現在、2軒は廃業していますが、
旧湯島温泉の桑原館(現・猿ヶ京ホテル)と長生館が、
旧四軒時代の歴史と伝統を守り継いでいます。
水没から50余年経った今でも、
渇水時には湖底から自然湧出する温泉の湯けむりを
見ることができるそうです。
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