インド・ビジネスの勘所  土肥 克彦

「人とお金」を批評する

第1回
まえがき 金銭読本のための自序

むかし、清の乾隆帝が海の見えるところへ行幸したことがあった。
その時、何百隻という船が海に浮かんでいたので、
「あんなに沢山の船の中であんなに沢山の人々が
一体どうやって暮しているのだろうか」
と皇帝は側近の者にきかれた。

すると側近の者は即座に、
「いいえ、陛下。見えるのは二隻だけでございます。
一隻は“富貴“と呼び、もう一隻は“名声“と申します」
と答えたそうである。

これはもちろんおハナシであろうが、
人間が、しばしばその生きている意味を忘れて、
ひたすら求めてやまないものは“富貴“と“名声“であろう。
金があれば貴く、貧しければ賤しいのは人の世の常であるが、
「キタナく儲けてキレイに使え」という言葉もあれば、
「濁富多憂」に対して「清貧自楽」という対句もある。

金は万人の等しく求めてやまないものであるけれども、
またそれだけに金に対する態度や
金によって惹き起される悲喜劇は、まことに複雑である。
必ずしも我々の予想した通り、また法則通りに動かないところに、
いわば「小説の世界」があると言えるわけだが、
しかし、そのことは金銭、及び金銭に対する人間の態度に、
或る種の法則が存在していることを否定するものではない。

一昨年であったか、嶋中鵬二さんが『中央公論』の編集長から
転じて『婦人公論』の編集長を兼任したばかりの頃、
或る日、雑談をしていて、
「婦人雑誌は恋愛、結婚、離婚の問題に明け暮れているが、
女性が一番興味を抱いているのは金のことじゃなかろうか」
とつい口をすべらしたところ、それが一年間、
『婦人公論』に「金銭読本」を書く始末になってしまった。

近頃は投資信託を背景として、マネービルへの関心が強まり、
それに関する解説もあちこちに掲載され、
また「金儲けの本」が出版されて、
その本を書いた本人が一番儲かるという奇現象を
呈しているそうである。

かねがね私は、「金儲けの本」と「小説の作り方」は
読んで手慰みにはなるが、
あまり役に立つものでないと思っているので、
自分がもし金銭の話を書くならば、
金儲けの秘法(それを知っていたら、私は人に教える代りに
自分でこっそり実行したい)を公開する代りに、
金の性質や現代の経済機構のもとにおける金の在り方や
日本人の金銭観について述べたいと考えた。
実際に出来上ったものが“富貴 “の船を漕く人々にとって
どれだけの役に立つものか、
むしろその気勢をそぐ結果になっていないであろうか-
それは読者諸賢の判断にまつよりほかないであろう。

従って『金銭読本』は金儲け術の本であるよりは、
現代日本の金銭面に対する私の見方と言った方が
正しいかも知れない。
「二号さんの黄金時代」から「一つの中国・一つの台湾」
に至るまでの他の文章も、女性や美徳や文化や食べ物や政治など、
いずれも現代日本人の生活と直結した間題を取り扱ったもので、
この意味でここに集められた文章は現代日本文明に対する
私の批評と言うべきものである。
この本に「金銭読本」と銘打ったのは「金銭読本」が
一番長いせいもあるが、
多くの船が浮かんでいるように見えても、
よくよく見れば、船は二隻だけであり、
しかもそのうち、一隻だけしか救えないとすれば、
ドライをモットーとする現代日本人は「富貴」丸を救うだろうと
早合点したからである。

一九五九年正月

邱永漢





2012年8月1日(水)更新
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7月23日  第1回 まえがき

7月24日  第2回 金と女その1
7月25日  第3回 金と女その1 7月26日  第4回 金の生い立ちその1
7月27日  第5回 金の生い立ちその2 7月28日  第6回 貯めるということその1
7月29日  第7回 貯めるということその2 7月30日  第8回 物を買う愉しみ
7月31日  第9回 誰がために金はあるその1 8月01日  第10回 誰がために金はあるその2





■邱 永漢 (きゅう・えいかん)
1924年台湾・台南市生まれ。1945年東京大学経済学部卒業。小説『香港』にて第34回直木賞受賞。以来、作家・経済評論家、経営コンサルタントとして幅広く活動。最期まで年間120回飛行機に乗って、東京・台北・北京・上海・成都を飛び回る超多忙な日々を送った。著書は『食は広州に在り』『中国人の思想構造』(共に中央公論新社)をはじめ、約400冊にのぼる。(詳しくは、Qさんライブラリーへ




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