| 第281回小さな心の柵
 今回は、日ごろご愛読下さっている読者の伊藤様から
 第269回 小さな勇気が欲しくなりました
 について以下の感想メールをいただきましたので、
 お答えします。
 
 ■伊藤様にいただいたメール 岐阜県に在住する伊藤と申します。私がエッセイを拝見させていただくのは、
 家事が終わって時間に余裕のある時か、
 もしくは会社から早く帰ってくることができたときですが、
 いつも読み終った後は、
 こころが温まります。
 出石さんの言葉は心にじんわりと響いてくるような、
 そんな安らかなものを感じさせてくれます。
 先日、小さな勇気がほしくなりましたを読ませていただきました。
 私の場合は、そんな時、
 シンプルに声をかけてあげることにしています。
 「お手伝いしましょうか?」など。
 そのうちだんだん声をかけずにはいられなくなるでしょう。
 きっと。
 (でも、その勇気がほしいという事なんですよね。)
 実は、私は友人のおかげでこうなれたのです。「ありがとう」「ごめんね」「うれしい」「かなしい」・・・・
 友人はどこにいても、誰にでも、もちろん友人や家族にも、
 素直に感じた、ありのままの気持ちを伝えます。
 彼女が口にすると、シンプルな言葉でも
 うわべだけでない心からの言葉だと感じるのです。
 彼女から、私は素直な心を学びました。
 ついつい、私事をだらだらと書いてしまってすみません。
 もうこんな時間ですね。最後まで読んでいただいて
 ありがとうございました。
 
 ■出石さんからのA(答え) お便りを頂きありがとうございます。また、日頃からお目通し下さっていることにつきましても、
 心から感謝申上げます。
 ときどき私は自分のやっていることが、
 紙鉄砲のように思うことがあります。
 紙を丸めて詰め、
 それを弾(たま)に見立てて、撃つ。
 けれども果してそれがどこに飛んでいるのやら、
 さっぱり分らないのです。
 闇夜にてっぽうとはまさにこのことです。
 けれども伊藤様のように心優しいお便りを頂くと、
 単純にうれしくなってしまいます。
 ああ、この広い世間のなかで
 たしかに心と心とがつながっているのだあ、と。
 私だってひとりではないのだなあ、と思います。
 あらためて御礼を申上げます。
 私が言えなかったことが、伊藤さんには言える。
 羨ましいことでもあり、
 また恥かしいことでもあります。
 そして伊藤さんと私の違いはいったい何なのか、
 深く反省させられてしまいました。
 その前にまず、伊藤さんは
 「小さな勇気」の持主であることは間違いありません。
 立派なことです。美しいことです。
 負け惜しみを言うわけではありませんが、私も心の中ではたぶん伊藤さんと同じことを思ったのです。
 思ったけれど、それを口にすることができなかった。
 どうしてなのか。
 おそらくそれは私の心の中にある自尊心の問題なのでしょう。
 テレくさいとか、みっともないとか、
 ちょっとした自尊心がそれを邪魔したのでしょう。
 でも、そのテレくささは実に小さなことです。その小さな柵をほんの少し越えれば、
 相手に親切にしてあげられる。
 その親切は、相手にとっては
 決して小さなことではないかも知れません。
 「小さな勇気」が「大きな感謝」を生むことだってあるのです。
 ちょうど伊藤さんのお便りが私を大きく励ましてくれたように。
 人は自分のことだったら、
 こんなふうに分るんですね。
 伊藤さん、私もこれからはきっと
 「小さな勇気」が持てるだろうと思います。
 小さな心の柵を乗り超えてみせますよ。
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