石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第118回
続 ムスコがねじれるとき

長男がサマースクール参加のためアメリカに旅立ってから
早や3週間が経ちました。
週に一度しか電話してこないので、
果たしてしっかりやっているのかどうか、話を聞くと、
「ナイアガラの滝を見に行った」とか、
「シダーポイントのローラコースターに乗った」とか、
一体何しに行っているのかと言いたくなりますが、
手の届かないところに行ってしまったので、
やきもきしても詮無いことですね。

私は23歳で結婚しその翌年に長男が生まれましたから、
父親になったのは早い方だと思います。
生まれたばかりの頃には共働きでしたから、
保育園に預けていました。
今でこそ日本でも
施設とかサービスとか充実してきているのではないかと思いますが、
当時サラリーマンで子どもを預けてまで共働きするのは少数派で、
かみさんなど実家の親戚から、
「赤ちゃんが可哀想」と中傷、もとい、心配されていたようです。
保育園通いは彼が5歳になる年、
私が大学院復学のため、妻の実家に居候するまで続きました。

小学校1・2年生のときは長野の小学校、
3・4年生は台湾に移って日本人学校、
5年生の途中からアメリカン・スクールに転入しましたから
環境の変化を何回か経ていることになります。
でも、傍から見ても物怖じしない性格で、
「すぐに友達もでき全然問題ない」と言っていたのですが・・・。
カウンセラーによると、「彼は神経質」、だというのです。
学校の授業についていけない、ということが判った時点で
内心パニックに陥っているのですが、
それを表面に出すことができない。
問題が発覚して母親にそこを追及されると、
余計感情的になってそれを否定する・・・。

まだ小学校1・2年生のころに
足の指の皮膚がボロボロと剥ける症状がでたことがあって、
そのとき皮膚科のお医者さんから出たのが、
「この子は神経質だから・・・」という言葉でした。
その時も、かみさん共々「えぇ〜?」という受け止め方だったので、
今回同じ診断が出てきたとき、「うーん」と唸ってしまいました。
今はちょっと距離を置いていますが、
彼を理解するためには、
もっと一緒にいる時間を増やさなければならない、
と感じる今日この頃です。


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2005年7月20日(水)

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