石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第32回
儲からないので、家賃の安い郊外に引っ越しました

2000年の夏を迎えましたが、
台湾小倉はセンサーモジュールの新製品の開発が大幅に遅れ、
既存製品を使ってもらえる小口注文の他は
ほとんど売り上げがたたず、
着々とだんだんと資本を食いつぶしていっていました。

台湾小倉は台北市内の
センサーテック社営業所と同じビルに間借りしていましたが、
彼らの要求する家賃は割高だと感じていました。
また、外注を委託していたイーサン社に
センサーテック社から引き継いだ生産設備を預けていましたが、
予想とは違って注文が増えるどころか減ってしまったたため、
総経理の黄(ファン)さんは快く思っていない様子でした。
そこで、1号社員のリチャード譚(タン)さんは
郊外に工場スペースも兼ねたオフィスを探すことにしました。

台北市は、
中華民国の直轄市(日本でいう政令指定都市)の一つで、
台湾の北部にあって四方を山に囲まれた盆地に位置しています。
面積は270平方キロメートルほどですが、
人口は260万人余りなので、
人口密度は10,000人弱/1平方キロほどということになります。
東京の特別区内は13,000人くらいと聞いていますから、
負けるとも劣らない集積度といえます。

その四方をぐるっと取り囲んでいるのが台北県で、
約2,050平方キロメートルのなかに370万人弱が住んでいます。
こちらの方は大したことありませんが、
台北市内のオフィスに通勤する人が相当数おり、
台北市の昼間人口はさらに膨れ上がるので、
家賃が高いのも無理のないことではありました。
台湾全体の人口が約2,200万人ほどですから、
実に全体の約3割がこの二つの行政区内で生活しているのでした。

譚さんが探し当てたのは、
台北市の南側を流れる新店渓の河向こうにある
台北県中和市のとある雑居ビルでした。
坪当たりの家賃がそれまでの3分の2割程度に下がったので、
設備用のスペースを増やしても、
あまり以前と変わらない家賃に抑えることができました。


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2005年3月15日(火)

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